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知識があっても英語で言えないとなんにもならない、再び

最近、クライアントのコミュニケーションスキルを向上させるためにSpeech-Language Pathologistなどの専門家が介入している。

本当に素晴らしいことだが、普段からクライアントに接していない人たちが、1、2時間クライアントの様子を見ただけで、トレーニング方法を一から考えるのは難しい。

周囲を取り巻く両親やケアギバーによっても、積極的からあきらめまで期待値の温度差がある。

クライアントの障害や知的発達レベル、抗てんかん薬の影響や疲労度などを考慮して実践しなければならない。

一筋縄ではいかない。

誤った実践方法であれば、私が修正してあげなければならない。
こういうとき、適切な専門用語の運用やセンテンスの組み立てができないと、相手になかなか伝わらない。専門家だと思って丸投げしたら、どうもそうでもなかったということもあるし、適切ではないやり方で行っても効果は出ない。本当は、全てお任せしたかったのに・・・やることが増えた。

なんで、オイラはいろんなことを知ってるんだろう?と振り返ってみたら、自分は教員免許をもっていたのであった。

教職課程で発達心理学とか、教育心理学とかさんざんやってきたのを、今まで忘れていた。看護学校でもカナダのカレッジでも発達段階の学習をしたけれど、大学の心理学系の講義はずいぶんたくさんあって、箱庭療法とかもそれで習った。

教員になりたかったわけではなく、あったら便利かもしれないと思って教職課程をとった。遺跡発掘調査はたいがい自治体の教育委員会の所轄にある。教育委員会の元で仕事もたくさんしてきたから馴染みもあるし、考古学分野の就職がなくて教員になる研究者もいるのだ。

教員不足がすさまじいようだが、高校地歴の需要は少ない。しかも、年齢制限もある。日本は若者が好きな社会だから、頭でっかちの年寄りの新人教員などお呼びじゃない。

そういうわけで、年の功に加えて通常以上の勉強を続けてきた結果、だいぶシッタカになった。

人生回り道すぎると人には言われるが、結局は進路選択を誤っただけという・・・

●大学に行ってもいい就職先がなかったり、(4年生大学卒の女子学生の就職先は男子学生に比べるとパッとしない)
●好きな勉強をしたくなったり、(もともとは歴史学がやりたかった)
●資格を取ってもみたけどあまり収入に結びつかなかったり(学芸員、日本語教師、教員免許)
結局、
●看護師→コスパ最高!
●今は、在宅ケアと医療的ケア児のお世話で、英語以外にも超絶難しい知識が必要だ。なんてこった!

息子にも指摘されるけど、手を広げすぎるから中途半端。
専門分野が広すぎるから、それを全部英語で説明するのが超大変。
覚える単語の量が増えてしまう・・・
効率が悪い。

たぶん、看護だけに絞るべきなんだろう。
いやでも、
「そこ違うでしょ!」
とツッコミたい私がいる。

そういうわけで、シッタカしつづけるために勉強しないと・・・


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