母という呪縛、娘という牢獄
この本をInstagramで知って
娘を持ってることもあり
自分が娘に対してやらかしてないか
知りたくなって読んでみることにした。
自分が(子供に)間違ったことをしていないか
確認の為に手に取った本だけど
ここに出てくる母親は
うちの母親に似ていた。
似ている点と、反対の点があって。
ここに出てくる加害者である娘と私の
似ている点と反対の点も
考えながら読んでみた。
ここに出てくる母親は
周りを見下す教育を娘にして
娘にレールを引き、抜け道のない完璧な監視、
それでもレールに乗れない娘を
罵倒し、罰を与えて、白か黒を強要し、
謝罪させ続け、苦しめ続けた。
彼女(母)の世界は 娘1色だったことは間違いないだろう。
うちの母は、私にレールを同じく引いた。
乗れない私を罵倒し 白か黒を強要して 謝罪させ続けた。
違う点は、そこまで私に興味が無かったので
完璧な監視は無かった。
私に対して、興味が無いので、塾に通わせようとか
勉強が分からないなら手をうたなきゃいけないとか
そういう思考回路にはならなかった模様で。
ただ、悪い点数を取れば 父と母に3時間立ちっぱなしで
詰められた。
大体が悪い点数だからwたまったもんじゃない。
けど、それも不思議と慣れる。
だいたい最後は 白か黒か求められ
カウントダウンののち、殴られる。
そうするともう終わりに近づくので
反対に少し出口が見えた喜びにほっとする。
表情には出さないけどね。
殴られる時は、意識を外に出す。
殴られて痛いのは他の人の身体というように。
今から考えると 私も親と同じくらいの年齢になってきて
それだけ長い時間怒り続けて、よく体力あるなwと思う。
あの頃私は、それでもレールに乗れない自分を
馬鹿だと自分で罵ってたし
学校に行っても 周りの子達とは 違うバカの星に
自分だけいる気分だった。
よく見る夢は
たくさんの人が、歩くみたいに普通に飛べる世界で
私だけが地を這いずり回す形でしか浮かべ無い。
下から上を見渡し。焦り、ここでも自分はダメだと思う夢と。
なぜかみんな爆笑しながら
でっかいバランスボールを乗りこなしてて
スーパーボールみたいにはねまくっているのに
私だけがバランスボールは持ってなくて
走り回って
潰されないように逃げ回る夢。
この2択だった。
学校でも家でも勉強が分からないことを人に聞けなくなった。
最初、母に聞いた時
「は?」と返され2時間シカトされた。
私は机に座り続けて
後ろでドラマを見る母に気を取られつつ
答えが見渡せる範囲に落ちてないか
必死で探し続けた。
2時間してドラマが終わり
足音が近づいてくる。
殴られると思い、肩を竦めた。
「は?!まだやってんの!?アホちゃうか」と冷たく言い放たれ
答えを殴り書きされて
台所へ戻って行った。
殴られなかった!ということに
明るく 今日はラッキーだ!と思うようにしていた。
それから分からなくても聞けなくなって。
テストの度にその仕打ちが来る。
テストが返されるまでの間はずっと
「じゃぁ、塾行かせてくれよぉ、完璧に分からないことを聞いてもいいんだよって場所をくれよぉ」と願い続け 心の中で嘆いてた。
お金がかかることは 言えなかった。
上靴も 小さくなっても 言わなかった。
この本の母親のように 罵倒や暴力は同じでも
興味をもたれていたら、
もしかしたら私はもう少しは勉強ができたのかもしれない。
人のせいにしてるみたいだな。
もし、勉強ができたら 何かになりたかったのかと言われると
今やもう分からない。
朝、叩き起され
暴力的に 算数を教えられたことがあったけど
「将来何になるつもりやねん」といきなり
左側からヒスられた。
早く答えないと!と頭が回転しまくった結果
母とおなじ看護師と答えたら
少しは機嫌が良くなるかと思って
そう答えたが
返ってきた答えは
「頭が悪いからあんたには無理やな
なーんにもなれへんわ。これやったら」
と嘲笑われた。
「え!?じゃぁなんで聞いたんw」と笑いそうに
なったのを覚えている。
そこで笑う根性は無かった。
とりあえず表情は極力出さない。
何が機嫌にふれるかわからない。
バツもたんまり与えられた記憶があるけど
日常茶飯事だった為、細かい内容は覚えていない。
1つだけ覚えているのは
母と父がいる時は
母は父を
父は母を
見ているので
私は存在が無い。
なので、おとなしくしておけば 目に留まることは無かった。
目に留まる題材(テストとか)がある時は
その代わり強烈で。
2人して罵って 2人して睨んでくる。
母と2人の時は
母は私に関心が無いので おとなしくしておけば問題は無い。
お茶のコップを手に取るのも怖い。
父と2人の時は 怖い。
父が私に興味があるからという訳ではなく
父は母より手が出るのが早かったから。
父と2人にされた時に そっち路線にいかないように
おとなしく 学校へも協力的で~という
明るいイメージを植え付ける方法で私は身を守る。
無言でいると、なんやかんやとイチャモンつけて殴られる。
必死で話すことを探す。
「古切手を学校が回収してるらしくて、あったら欲しい」
と父にいうと「探しておくわ」と穏やかな回答。
ほっとした。
古切手なんでどーでもよかったが
父は数日後に古切手を渡してくれた。
私はそれを学校に提出し忘れて
自分の家の引き出しになおしておいた。
年末の大掃除の際に
それを見つけて
うわっ!やってもうた
隠滅しないとと
ゴミ袋に入れた。
小2の私は馬鹿で。
その古切手がゴミ袋の表面沿いに見えていた。
父に見つかった。
その日は ずーっと怒鳴られ 投げられ 蹴られ 殴られた。
背中も腰も脚も痛かった。
頬骨は殴られると ごぉきって言うんやなぁと
ボーッと思っていた。
流石に、痛さからいつもの逃げ方では逃げれない気がして
母に助けを求める眼差しを向けてみる。
母は、そこから見えるダイニングテーブルにリラックスして座り、タバコを吸い、雑誌をみていた。
あーダメだこりゃおわらねーわと
絶望したことを覚えている。
翌日になっても まだあらゆる所が痛かった。
担任が 流石に
怪訝な顔で 「それどうした」と聞いてきた。
「こけた」と答えた。
うちの親は 警察官で、担任も首を突っ込みたくなかったんじゃないかな。
その日学校から帰ると
父と母が さっきまでやってたんじゃねーか?ってくらい
仲良く寄り添い座っていた。
その前にある机の上に
お菓子がたんまりあって。
挨拶をきちんとしないとまた殴られるので
「ただいま」と言って
自分の部屋に戻ろうとしたら
父に呼び止められた。
「W昨日はやりすぎたわ~
ごめんな~Www
これやるわ☆(お菓子)」
母「あんたこのお菓子買ってきたん?」
父「パチンコの景品や」
((え、これ、ありがとうって言わんなあかんやつ?
え、買ってきてくれたならまだしも?パチの景品!?
えーっっ!ごめんって 言うんなったら やんなよw))
と思ったのを覚えている。
私は ありがとうも 何も答えず
無表情でお菓子を触ることも無く。
無言でやりすごした。
たまたま やった後なのか ?w2人の機嫌は良かったので
その無言にたいして 咎められることは無く、
二人の世界に帰って行った。
そのお菓子に関しては 一切 手をつけなかった。
うちの両親は 早々に私にたいして諦めた。
9歳の時に弟が産まれたしね。
弟がお腹にいる時に
真顔で母に言われた。
「あんたは失敗作やから、下の子からはちゃんとするわね」
「…うん」としか答えられない。
複雑な気分だった。
産まれた弟は 可愛がられた。
母は、父を てきと見なすようになった。
息子を守る母親として 自分が親として
やり直してる気分だったのかな。
弟は
幼稚園に上がる前から幼児教育の習い事をさせてもらっていた。
私が子供を持ってすぐくらいの時に
母親が連れ込んだ男に 子供を殺されたニュースを
母と一緒にみていた。
「ほんっま、人として信じられへんわ、自分の子供がやられてる間、この女、何してたんやろ!?」
目が まん丸になった。
「雑誌読んで、タバコ吸ってたんじゃない?w」と
言えばよかったけど
苦笑いしか出来なかった。
母の記憶には 弟以降の記憶しかないようだ。
失敗作の記憶は抹消されている。
私はレールにのらずにすんだ。
この本の加害者である娘さんのように
私は真面目でも無かったし
逃げることを知っていた。
レールに乗る脳みそがないんだとか
お金がかかることを要求するに値しない人間だとか
どこからが甘えで どこまでが普通の人としての要求なのか
わからない。
そういうのは残ってしまったけど
レールに下手にのらなくて良かった。
頭が悪いことにある意味感謝している反面
生きづらさも抱えていて。
その生きづらさが
我が子に感染することを
物凄く恐れている。
答えがどこかに無いか、いつも探している。