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認知するということ。

先日、自身が、調舒星について書いた記事を読んだのですが、自分でも全く意味がわからなかったです…(^◇^;) 。内側から生成された感情だけを説明するのが、こんなに自分にとって難しいとは…。

逆にそれを伝えるのが上手い人もいるわけで→たとえば身近に鳳閣星を2つ持つパートナー。
向こうにしてみれば、いっけん黙って聞いている調舒星は、話相手としては問題ないのでしょうが、突然キレられたりして、自分の気持ちを的確に伝えるのが上手な鳳閣星からしてみたら、「わかりづらい」「あとから言うな」とそりゃもう大評判でしてw
(でも、お互い学び合うことのできる相性と信じて、日々精進٩( 'ω' )و

で、一方の調舒星の方は…ですよ。
溜まる、溜まる。内側に溜まる人なんですね。
「それってどういうこと…?」「こういう意味かな」を重ねながら、話がどんどん先に進んでいきます。(表現がストレートな鳳閣星に言わせると、そういうバイアスがあること自体がハテナらしい)。
そしてやがて、脳みそに情報が溜まりすぎて、 「一人になりたい、自分の話を聞きたい」、末期になると、「生きづらい」…となっていく。で、人に対して爆発すると「あとから言うな」となる。

とはいえ、自身の生きづらさは、ずっと問題を感じていました(^◇^;)

本当に悩んでいたところ、ふと「認知するっていう療法なかったっけ?」と思い出したのです。

まず大切なのは、「認知すること」なのかな、と思いました。「私は今、こう感じている」と、出せなくても、感じておくこと。なぜかというと、情報過多になると、忙しすぎたり、他人が関わってくると、自分の感情がわからなくなりがち(だからスタバで一人になることを好む)。

そもそも感じないと、認知のズレにも気づかないし、気づけないと、行動を直すこともできないと。。

で、感じたことを整理して、認知のズレを直していく作業をすると、日常生活に支障がないかと。

算命学で調舒星が二つあります(主星は貫索星ですが…)、という結果が出て「そうか、内側に溜め込みやすいんだな」→「それを表現の糧にしているんだな(私にとって書くことは当たり前の行為だったけど、そうじゃない人もいる)」と気づくことが大切。
そもそも、問題を抱えていた、というのも認知のズレだったことに気づきました。問題ではなくて、個性を的確に理解することが大切だったんだなって。
自分にとっての当たり前、は、人にとっての当たり前じゃない、ということに気づいた次第。
お互いに個性を認め合っていけたら良いな(^_^)v

すてきな一日を。

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