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優しさの完璧さ。

かまってちゃんをかまえる余裕がないのは、冷たいのでは、というお問い合わせを頂きました。
なんか、優しさひとつにとってみても、人の数だけいろんな知恵が出てくるね。知恵というか悩みというか。。

優しさの構造を理解したうえで、自分を優しいと思えばいいかと。
つまり、周りの人に分け隔てなく優しくしたい→でも、かまってちゃんには優しくしたくない自分がいる→どこかに優先順位がある→八方美人じゃん、ということなのか。優しさの矛盾を突いてくるね。。
これは、うかうか「自分は優しい」なんて言ってられないね笑 でも、優しいと思います。
でも、自分に厳しいとは思う。

そんな矛盾なんて、普通考えない、というか、考えてるけど、人に尽くしすぎて優しいから、そこまで考えないんだと思う。もしくは考えなくても大丈夫だったというか、フタをしてたというか。むしろそこまでいきつくって、よほど逼迫した、大変な状況なのだと思う。

客観視してみると、優しさの構造も、いろいろあるんですね。その人なりの立体的なサイクルがあるというか。。立体的に構造を組み立ててみたところで、個人的に、「これはとても難しい、できないだろう。自身の中で矛盾することをやってのけようとしてるんだ」という言葉が浮かびました。その優しくしたいサイクルに、自分が最初から、「その人」を入れたくないんです。だけど、完璧を目指す自分は、それを許せない。結局、自分が完璧じゃないことが許せない、許せないからそこを努力してて、努力してる自分を手放せない…という矛盾があるのかなと思いました。
周りから見ると、たぶん、ものすごい完成度だと思う。AI並みかもしれない。
でも、その完成度って何、と、ご自身も思われているのでは…。
高みを目指しすぎて、ツッコミに対応しすぎてきたのかも。私はかえって、その人のスを見た時に安心することもあると思う。。
その人の話した「どうでもいいこと」は、私にはその人にとってとても大切なことだと思ったし、それを話すその人は、心が優しいと思うこともある。きちんと自分にとって大切な人を気にかけている。それで十分だと思う。

って自分もできてないことを偉そうに言ってしまいましたが、書かせてくれること、ライフワークに本当に感謝ですm(_ _)m

すてきな一日を。

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