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金の斧と銀の斧 えええ・そんなのあり?

皆さん、こんばんは。モモです^^

 毎週日曜日の夜にソーシャルワークに恋をしてともに旅する世界ー序章ー

 ふと、いつまで序章なんだろうと思い始めましたが、あまり気にせず進めていきたいと思います笑

 初めての方はようこそ!
 たまにのぞいてくださる方、ありがとうございます^^
 リピータの方、心からありがとうございます!

 今夜ものんびりと旅をしていきます。
 理想は「アナザースカイ」のような感じ。始める前に旅のアテンション♪
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・一応連載ですが、初めてでも大丈夫です。
・眠いから途中で寝ますも大丈夫です。私の文章センスの問題ですから。
・そんなときは、「おやすみなさい^^」
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ざっくりあらすじ

 さて、19世紀後半産業革命の時代のイギリスで、ソーシャルワークの源流地をたどる旅をしているところです。そして、ソーシャルワークの源流といわれる、「慈善組織協会(COS)」のお話に続いてセメントではなくセツルメントという取組のお話をしていたところでした。

前回の旅のおみやげ_________________________
COS(事前組織協会)は、訪問時に一番大事な、肝心の「何をもって救済すべき世帯とみなすのか」という部分があいまいだった。これが、セツルメント活動が始まる背景にもなったCOSの欠点その1!
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COSという団体は、慈善活動を組織化したところが最大の強みでしたが、貧困家庭の定義が明確ではなかったので、訪問員の判断に委ねられていたということでした。これは、想像ですが、「運よく優しい訪問員が来てくれたら・・・」なーんてことがあったのでしょうか。

ということで、今回は、前回の続き。(毎回続きと言っていますが笑)

COS(慈善組織協会)のもう1つのウィークポイントについてお話ししたいと思います。だいたい、何か批判される時って、1つじゃ収まらないですよね。百年前と現代と変わることと変わらないことと両方あるんですねやっぱり。それでは、本題に入っていきたいと思います。

「価値ある貧民」と「価値なき貧民」

 なぜ、セツルメントという活動が誕生したのか。その理由ともいえる、COS(慈善組織協会)の欠点がこのタイトルにつながるんです。

 なぜ貧困が生まれるのでしょう?という疑問についてはこの物語の中でも触れているとことですが、一言でいうと産業革命による格差の拡大という説明に尽きるのだと思います。

 ただ、それは時代を経て歴史的に過去を振り返った現代になって明確になった説にすぎません。リアルにの時代を生きていた人々にとっては、初めてのことで、マクロ的な視点で原因を分析しそれを世論的な見解にすることはできませんでした。直近の課題としてとにかくこの貧困に苦しむ家庭がいることへの対策を考えなければならない、そういう状況でした。

つまり自分が悪い説

 かなり、インパクトのあるタイトルをつけてしまいました。ただ、そのように考えられていたようです。「そもそもなぜ貧困に陥ってしまうのか」、この問いに対して、慈善組織協会では、

「個人の社会的常識、道徳、生活力に不足があり、その結果、怠惰になって働かなかった、過度な飲酒、金銭感覚の欠如、賭博などの賭け事、そういった、自己責任で生じた結果が貧困。」

という理屈で考えられていたんです。

 現代の一般常識で考えると、「確かにそういう原因もあるかもしれない、けどそれだけじゃないよね。そういう人だけじゃないよね。」きっとそのような意見も出てくるのではないでしょうか。

 ただ、これまでエリザベス女王の時代から救貧法→新救貧法→事前組織協会と様々な取り組みが行われてきた中で、なかなか構造的な原因が見いだせず、その結果、効果的な対策を講じることができなかった、そういった背景がこの考え方を生み出したのかもしれません。

 その上で、慈善組織協会は、以下の2種類に分けて、救済するのかしないのかを判断していました。

・その貧民が道徳的に救済可能な「価値ある貧民」
・改善の見込みがない、救済できない、人として「価値のない貧民」

つまり、

貧困は、自助、個人の能力、個人の努力によって乗り越えられるべきで、そのための手助けをするのが慈善組織協会における友愛訪問

 なんだか、正論のような、ひどい話のような、釈然としませんが、とにかく、一言で言ってしまえば自己責任論、自分が悪い、ということですね。言葉を選べずに言えば、ひぇーといったところです。

 そりゃ、前回の記事でもお話ししましたが、どうりで基準が不明確なわけですよね。うーん。眉間にしわが寄ります・・・。おやすみまえにすみません。

ちょっと寄り道。ちなみにいうと、現代でも!

 文字数が、例によって目安の3000字に達しようとしているので、またいつかお話しできればと思いますが、現代においても貧困の定義というのは、実は、明確になっていませんよね。

 正確には、様々な制度上、線引きしていることは多いですが、それらの正当性については常に議論になっています。生活保護受給のできるかや児童手当の所得制限などでしょうか。話が横道にそれてしまうので、今回はそちらについては、そっと横に置いておきたいと思います。

ということで、

そろそろです。いつもの文字数の件について

今夜こそつべこべ言わずに、終わりにしようと思います。

本日のまとめ

今回の旅のおみやげ_________________________
 産業革命時代のイギリス、セツルメント活動が始まるきっかけとなった、事前組織協会(COS)のもうひとつのウィークポイント、それは、
 貧困を個人の自己責任とみなしていたこと。
以上!
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次回の旅のアナウンス


 今回は、もしかしたら久しぶりに3000字に収まるかもしれません…!
心の中の声を少なめにしていきます。面白くなくなってしまえば、意味のないものかもしれませんが。こんな感じですが、楽しさも追求します!

 ということで、次回は、セメントではないセツルメントのお話をします。2回に分かって慈善組織協会の批判ばかりをしてしまいました。そんなにいうんだったら、セツルメントは、さぞ、素晴らしいのでしょう。フフフ。どうでしょう。焦らず、そちらはまた次回に^^

 今夜も、読みにくい文章にも関わらず、最後までお付き合いいただき本当にありがとうございます。つっこみどころ満載のゆるいペースでの旅になっていて恐縮なのですが、引き続き、次の旅でお会いできるのを楽しみにしています!次の週末まで皆さん、フリースタイルで、各自いろいろ進めていきましょう。

 それではみなさんおやすみなさい☆彡
 また、この旅って何一体?と思った方は、先週お届けした記事をお読みいただけれるととっても嬉しいです。

COS批判その①の前回の記事はこちらです^^

この物語全体のお話はこちらです^^

ソーシャルワークに興味を持っていただいた方、アナザーストーリーはこちらです^^※リンクになっています。



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