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『ヤクザと家族 The Family』 不良少年の家族/孤独

『ヤクザと家族 The Family』(2021)

監督・脚本:藤井道人
企画・製作:河村光庸
撮影:今村圭佑
照明:平山達弥
録音:根本飛鳥
美術:部谷京子
衣装:宮本まさ江
ヘアメイク:橋本申二
編集:古川達馬
音楽:岩代太郎
出演:綾野剛、舘ひろし、尾野真千子、北村有起哉、市原隼人、磯村勇斗 

観に行ってからだいぶ時間が経ってしまった。

冒頭の、男が水の中に漂うシーンは、終盤の決定的なシーンであることを、観ている者は後になって知る。
このことから『シシリアン・ゴーストストーリー』(2017)を思い出した。

『シシリアン・ゴースト・ストーリー』は実際にあった誘拐事件を基にしたかなりきつい物語で、シシリアンマフィアが絡んでいる。
主人公ジュゼッペは普通に生活している普通の少年だが、マフィアの息子だった。それだけの理由で大人の暴力的ないざこざに巻き込まれたわけだ。

時に「子どもは親を選んで生まれてくる」というようなことをいう人がいる。私はそれには頷けない。選べないからこそ子どもが被害者となる様々な悲劇が日々起こっているのではないだろうか。

『ヤクザと家族』が“家族の物語”として打ち出しているのは、ヤクザ世界の家族的な繋がりの部分であり、さらには山本賢治(綾野剛)が工藤由香(尾野真千子)とともに新しく作ることができたかもしれない家族のことだろう。しかし私がつい注視し想像してしまうのは、賢治の元々の家族の方である。それはほとんど描かれないが、そこが全ての始まりなのだ。

賢治は父親と二人暮らしだったらしく、その父親も亡くすところから話は始まる。命を落とすほどに覚せい剤に溺れていた父親との生活がどのようなものであったか、葬儀の後に賢治が戻った家の中の様子が物語る。他にくどくどしい説明はいらない。ひどく雑然とした部屋の中で、着ていた服のまま横になる賢治の姿が、胸を刺してくる。 

19歳の賢治は、尖っていると同時にひどく傷ついていて、いや傷ついているからこそ尖っていて、今その時だけを生きている。保護されるべき時期に顧みられることなく育ち、孤独の恐ろしさを知るがゆえにそこから目をそらすように、「今」を繋げて疾走している。

序盤の、薬の売人からかっぱらいをして追われるシーンは、賢治の生き方の疾走感をそのまま映し出している。手持ちカメラで撮られる地方都市の寂れた街並みは、地方都市を知り今はそこを出ている(私のような)者に、ある種の郷愁と後ろめたさのようなものを呼び起こす。

『ヤクザと家族』は“ヤクザの話”であり、“家族の話”であるが、それと同時に“地方都市の話”でもあるのではないだろうか。これは新宿歌舞伎町のヤクザの話ではないのだ。

賢治のように親から遺棄され“不良少年”となった子どもたちが、家族的なものを求めてヤクザの世界に入るというのはよく聞く話だが、都会には、特に現代では、それに変わる何らかの“居場所”があり、ヤクザでない生き方を選ぶこともできる。むしろ“ワル”であってもヤクザになる方が簡単ではないだろう。

地方都市においては、“不良少年”たちの行き着く先がヤクザであるというのが、ごく自然にもっとも辿りやすい道のりであるように思える。それは他のどの“就職”においても、都会より地方の方が選択肢が少ないのと同様だ。リクルートする側される側、どちらにとってもことはシンプルになる。

選ぶ選ばないで言えば、もちろん地方都市であっても、ヤクザを選ばないこともできるだろうが、選択肢は少ないうえ、そちらの世界への誘惑も極く身近に存在するし、人は安易な方、心地よい方(あるいはより辛くない方)を選ぶものである。

そういう意味で本作は撮影地の選定が素晴らしいと思う。都会でなく地方都市であるのが、また、時代設定が現在ではなく20年ほど前というのも、この物語の発端としてふさわしい。もしもこれが現在で、あるいは舞台が都会であったなら、賢治はヤクザではなく、木村翼(磯村勇斗)のように半グレになっていたかもしれないからだ。

藤井監督の前作『新聞記者』(2019)が報道を巡る現在を描き出したように、本作は、時代を1999年、2005年、2019年と三章に分け、それぞれの時代のヤクザを巡る現在を、地方都市の衰退を背景に置きながら描いている。綾野剛は、山本賢治の19歳、25歳、39歳をしっかり演じ分けた。その賢治を受け入れ、後に離れることになる、強くて弱い由香には尾野真千子が適役だと思う。

賢治が行き着いた先は、現段階、つまり今の社会の中では、そうなる以外にない、というところなのかもしれない。本作とはテーマの主軸が異なるが、西川美和監督『すばらしき世界』(2021)でも、やはりヤクザを辞めた人物が、状況は違うにしても同じ結末を迎えている。

ここから先をどうするのか、それを考えるのは私たち自身ということになるだろう。

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