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【2022 映画感想 009】『アウトサイダー』 意味はなくても人は生きる

1981年製作/128分/ハンガリー
原題:The Outsider
配給:ビターズ・エンド
監督・脚本:タル・ベーラ
撮影:パプ・フェレンツ、ミハーク・バルナ
編集:フラニツキー・アーグネシュ
音楽:サボー・アンドラーシュ、ホボ・ブルース・バンド、ニュートン・ファミリー、ミネルバ
出演:サボー・アンドラーシュ、フォドル・ヨラーン、ドンコー・イムレ、バッラ・イシュトバーン

タル・ベーラ監督の長編二作目で、珍しいカラー作品。

デビュー作『ファミリー・ネスト』(1977)もそうだったが、本作も後の作風とは少し違って、ドキュメンタリータッチで、冒頭が精神科病棟のシーンのせいか、またもワイズマンを少し思い出した。

アンドラーシュ(サボー・アンドラーシュ)はミュージシャンだが、精神科病棟で働いている。患者の世話をする傍らバイオリンの演奏を聴かせたりしている。しかし、公共の場で依存症患者と飲酒したり、患者にタバコを渡したりしたために、病院をクビになる。
二日前に自分の子を産んだアンナとは一緒になる気になれず、別れを告げる。しかし子どもの養育費は払うことにする。
アンドラーシュはケーブル工場で働き始める。酒場で兄チョテス(ドンコー・イムレ)と飲んでいる時、カタ(フォドル・ヨラーン)と出会う。のちに結婚する。
チョテスはアンナの子の父はアンドラーシュではないのではないかと疑っているが、アンドラーシュはその考えを一蹴する。
ケーブル工場では、生産性が向上しないためボーナスカットが告げられる。
ディスコで働かないかと誘われ、カタに反対されたのにも関わらずDJとして働いていると、カタがやって来て口論になる。というかカタが不満をぶちまける。生活費に占める養育費の割合が高いことが日頃から気になっていたし、貯金もできずお金の不安に囚われ、それでもどこ吹く風のアンドラーシュに腹を立て、もう耐えられない、あなたはクズだ、と、ディスコの音楽が鳴り響く中、叫ぶ。

なんだか変なあらすじの書き方になってしまったが、ドキュメンタリータッチのせいか、ストーリーはあるものの、ある一筋の話として紹介しにくい作品だ。

本作は、なんというか、人が生きているということそのものを見せるような作品なのだ。

一人の人のストーリーは、この世に生まれた時から死ぬときまで続く、生まれた時が始まりで、死ぬ時が終わりであるストーリーだけれども、人々が生きる様を少し離れたところから見ると、その全体にははっきりした始まりも終わりもないように見える。そういうことをそのまま見せられているような気がした。

薬を酒で飲み下すようなアンドラーシュは、自分の人生のどの局面においても、物事に真剣に向き合っていないように見える。生きたいと思っているのかさえよくわからない。しかしバイオリンを弾く姿は楽しげだ。カタがいうようにクズなのかもしれない。しかしそうだとしてもそれはカタにも最初からわかっていたはずだ。

たいていの人は相手のことをほとんど知らないまま結婚する。結婚に限らず、人と人との関係は大方のケースがそうだと思うが、結婚においてはそれが極端な形で現れる。もちろん、結婚を決めた時はお互いよく知っているつもりなんだけれども、実は相手の中に見たいことしか見ていないし、見たいようにしか見ていない。アンドラーシュは最初から最後まで全く変わっていないのだから、彼からしてみれば、カタの態度の変化の方が理解し難いだろう。

ディスコでの二人の(というかカタが吹っかけた)諍いのシーンは素晴らしかった。カタは大声でアンドラーシュに伝えたいことを叫ぶ。その声は、意味は、アンドラーシュに届いているのかいないのか。これは普段の二人のコミュニケーションを視覚化したもののように見えた。

作中、カメラは確かにアンドラーシュというアウトサイダー(社会不適合者)が生きる姿を追っていた。しかし最後の最後に、アンドラーシュからスッと離れて遠のく。それがまた素晴らしかった。うまく説明できないが、カメラの中で遠のいて行くアンドラーシュを見て、彼が確かに混沌とした世界の中に生きていた、それを私たちは見た、というような気持ちになったのだ。

ちなみにアンドラーシュを演じたサボー・アンドラーシュは俳優ではなく、ミュージシャンだそうだ。


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