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『クイーンズ・ギャンビット』 才能の代償

2020年制作・Netflixオリジナル
原作:ウォルター・テヴィス
脚本・監督:スコット・フランク
出演:アニャ・テイラー=ジョイ、ビル・キャンプ、モーゼス・イングラム、マリエル・ヘラー、トーマス・ブロディ=サングスター、ハリー・メリング

ずっと見たいと思っていて、やっと見ることができました。
何よりも、Netflixの作品バナーの、主人公のエリザベス(ベス)・ハーモンを演じるアニャ・テイラー=ジョイの顔に惹かれ、ジャケ買いならぬジャケ見です。
タイトルもいいですよね。これはチェスのオープニング(序盤)の動きの一つだそうで、チェスを知る人には馴染みのある言葉かもしれませんが、チェスを全然知らなくてもなんとなく惹かれる響きです。

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この作品は、チェスが舞台になってはいるけれどもチェスの話ではありません。だから見る者にチェスの知識があってもなくても関係ありません。
ジャケの印象に違わぬいい作品でした。

時代設定は1960年代のアメリカとソ連の冷戦時代で、この頃には女性のチェスプレーヤーなどほとんどいなかったらしいですね。ヴィジュアルデザインがダークファンタジーっぽくて(実際ファンタジックな映像もあります)、建物やインテリアなどのセットも衣装もいい。美術が素晴らしいです。

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ベスは9歳の時に母親アリス(クロエ・ピリー)が運転する自動車で事故に遭い、アリスが亡くなったため養護施設に入れられます。ある時、地下で用務員のシャイベル(ビル・キャンプ)がやっているチェスに興味を持ち、やがて彼から教わるようになり、すぐに天才的な能力を見せるようになります。
13歳の時にアルマ・ウィートリー(マリエル・ヘラー)とその夫の養子となり施設を出てから、チェスのプレイヤーとしての人生が動き出します。

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才能の代償としての孤独と、その孤独における自分との闘い、何が人を育てるのか、人が困難を乗り越えるとき何を必要とするのか… といったことが、ベスの人生の一時期を通して描かれています。

日本では(今のところ)こういうドラマはできないだろうと思います。同じような設定で作っても、絶対こういう風には描かれないだろう、と。ベスのような人物を、日本人の設定では造形できないと思う。(いや、できるんだろうか… そうであって欲しいけれども)

日本では、基本的に女の子は女の子のままなのです。可愛いとか可愛くないとかそういうことが一番大事だと思っていると思われているし(ややこしい)、実際そういう尺度でばかり測られていて、女の子が一人の人間として自分の足で立って歩き始めることになんて誰も興味を示しません。

日本という文脈の中の、さらに物語の中の女の子には、こういう類の孤独はこれまで与えられてこなかったし、たぶん今でも与えられないでしょう。(例えば有吉佐和子の小説には、女性が自分の才能を生かし、孤独の中を自分の足で歩き出す物語がいくつもあります。しかし思春期の女の子を描いた作品があったかどうか…)仮に与えられたとしたら、話はもっと“かわいそう”だったり同情的だったり、湿っぽい方向に行く気がします。“か弱いのが女の子”だからです。人間関係ももっとべたついたものになるのではないでしょうか。

本作に見られるベスを巡る人間関係はドライです。
チェスのチューターとなったシャイベルは寡黙で、必要なことしか話しません。施設で仲の良かったジョリーンとは、施設を出たあとは連絡を取り合うこともありませんでした。養父は出張と言ってほぼ家におらず、養母アルマは精神安定剤とアルコールに依存していて、たまにピアノを弾く以外はテレビを見るか寝るかしています。流行遅れの格好をしているため学校ではみんなから奇異な目で見られ友達もできないままに、チェスのプレーヤーとしてあちこち飛び回る生活に入ります。対戦相手として知り合った男の子たちとも、深くなりそうでならないような関係です。
しかし終盤になって、ベスと関わった人々のそれぞれの思いがわかる場面が出てきます。ドライではあっても冷たい関係ではなかったという事実に、見ている私たちもほっとします。

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養母アルマとの関係はとても興味深いです。
アルマは精神安定剤とアルコールの依存症で、それがベスに少なからぬ悪影響を与えてしまいますし、ツアーの手配の手数料として賞金の10%をベスに要求したり(それに対して「15%あげる」というベスがまたいい)、一般的な“母親らしさ”とは無縁のように見えます。けれども、過去にプロを目指したほどピアノが上手で、なんとも言えない穏やかな魅力(安定剤とアルコールの影響かもしれませんが)があるんですよね。
ベスを養子にした当初は、冷淡ではないけれど非常に素っ気ない態度で、なぜ養子にしたんだろうと不思議に思えました。しかしベスと行動を共にするうちに二人の間に絆が育まれて行きます。

母と娘というのは実は難しい関係です。愛着が強すぎて離れられなくなったり、母が支配的に何もかもコントロールしようとするいわゆる毒親となったり、同性として張り合う関係になったり…
ベスとアルマを見ていると、母と娘は、母とか娘とかの役割を取っ払って、お互い素の姿で接すれば仲良くやっていけるんじゃない? と思えてきます。もちろん、もともと問題のない関係ならばそんなこと考えなくても別にいいのですが。

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アルマはベスに“母親らしい”ことをしてあげることはないけれど、ベスの才能を信頼し、いつもそばにいます。いつもそばに、と言ってもつきっきりというのではなく、いわゆる“ステージママ”のようなものとはかけ離れています。ただそこにいるのです。
その距離感と信頼関係がとてもいいと私には思えます。アルマはベスのアンカーのようなものになっていたのではないでしょうか。

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自分との闘いと、チェスの相手との戦いを乗り越えて来たベスは、ラストシーンで送迎車を降りて一人で歩き出します。このシーンにぴったりの、清々しくて凛々しい白い衣装を纏って。

(余談ですが、人は人にものすごく簡単にお酒を勧めますね。それが相手にどういう影響を与えるかなど考えもせずに。)


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