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【2022 映画感想 011】『さがす』 最後に見つけたものは

2022年製作/123分/PG12/日本
配給:アスミック・エース
監督:片山慎三
脚本:片山慎三、小寺和久、高田亮
エグゼクティブプロデューサー:豊島雅郎、仲田桂祐、土川勉
撮影:池田直矢
編集:片岡葉寿紀
出演:佐藤二朗(原田智)、伊東蒼(原田楓)、清水尋也(山内照巳)、森田望智(ムクドリ)、品川徹(馬渕)
公式サイト:https://sagasu-movie.asmik-ace.co.jp

片山慎二監督の『岬の兄妹』(2018)は観たかったけれど見逃した。なんだか観るのが怖くてわざと見逃したのかもしれない。あまりにも重そうで(重いけど笑える、みたいな感想を目にしてはいても)、自分にはちょっと処理できそうもない気がしたのだと思う。

本作はそういう類の怖さはなさそうだったので、躊躇なく観に行った。
あらすじは公式サイトに譲る。

序盤はヒューマンドラマかと思いきや、サスペンスからジャンル映画っぽい風味、ノワールを通ってヒューマンへ着地、といった感じで、内容に重さを含んでいるものの、意外にもエンタメしていた。韓国映画のようなテイストなのは、片山監督がポン・ジュノ監督作品で助監督を勤めたことがあるからなのかどうか、私には判断できないが、影響がなくはないだろうと思う。

カメラの使い方は、一人の監督の作品とは思えないくらい変化があるように感じた。オープニングは7、80年代の日本映画のような少しくぐもった色合いと粗めのタッチで、そのまま行くのかと思ったらそうでもなく、特に美しい海岸の俯瞰シーンなどではクリアでコントラスト強目の鮮やかな色合いになったりしていた。位置も近かったり遠かったり、固定だったり手持ちだったり、とシーンによって変化する。

本作は大きく三つのパートに別れている。まず、娘の楓(伊東蒼)のパート、次に連続殺人犯の山内照巳(清水尋也)のパート、最後に父の原田智(佐藤二朗)のパートだ(最後にまとめのようなパートがあるので、それも入れると四つのパートになる)。ボリューム的には父のパートが一番大きい。発端から発端の前日譚、さらにその前から発端後まで、と各パートの時系列が違っていて、やがて統合され、場所も時間も結末に着地する。

何か少しでも言うと、ネタバレになってしまいそうなので、あまり中身には触れられないのだが、善良な人が道を踏みはずず話として、全く内容は違うが『藁にもすがる獣たち』(2020)を思い起こした。

(ネタバレの定義がよくわからないため、以下はもしかして見る前に知りたくないものを含んでいる可能性があることを申し上げておきます)

姿を消す父、原田智はそもそも善良な人である。少なくともそのように描かれている。そして、たぶん愛と疲労から最初の踏み外しを起こす。その段階で踏み止まれなかったのは欲望と状況のせいだ。欲望があり、チャンスがあれば、人はいくらでも道を踏み外すことができる。

連続殺人犯の山内照巳が起こす犯罪は、まだ記憶に新しい、実際に日本で起こった事件を思い起こさせる。簡単に言ってしまえば山内はサイコで、自分の行いに罪悪感を持たないどころかむしろ善行を行っていると思っている。白い靴下へのフェティシズムから、過去にトラウマがあることは暗示されるが、作中その点について深追いはされない。それがゆえに観客は山内という人間についてイマジネーションを掻き立てられるとも言えるし、あるいは、白い靴下は単に山内がサイコであることを補強する記号的なアイテムに過ぎないと思うこともできる。清水尋也さんは、その姿、佇まい、表情で、サイコ山内をこれ以上ないほど気持ち悪く=上手く演じていて出色だ。

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清水尋也さんだけでなく、他の出演者もそれぞれがピッタリはまっていて素晴らしい。他の俳優は考えられないほど見事なキャスティングだと思う。

伊東蒼さんは、“正義感があり芯が強く、しかし脆い部分も持っている、大胆で繊細な、お父ちゃんと二人暮らしの楓”を、きわめて自然に演じている。最近では、ドラマ『群青領域』(2021)で、トラウマのため声が出せなくなった少女を好演していたのが記憶に新しい。

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佐藤二朗さんは、善良だが道を踏み外す原田智の二面性を、持ち前のユーモラスな味わいを出しつつシームレスに演じ、人間の弱さや怖さを見せてくれた。ドラマ『ブラックスキャンダル』(2018)でも同種の二面性を演じていたことが思い起こされる(もっとも、ドラマの人物は善良と言い切れるようなキャラクターではなかったかもしれない)。

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三人とも唯一無二の風貌を持ち、それをフルに活かしている俳優という印象がある。俳優にとって一番大事なのは、何より風貌なのではないかと改めて思う。

ロケ地がまた良くて、特に大阪・西成の迷路のような住宅街での楓と山内のチェイスのシーンは素晴らしかった。海が美しい空き家だらけの島もいい。

『さがす』というタイトルは誰が何をさがすことを指しているのか、という点について、私はそのまま「娘が父をさがす話」だと思った。
さがす前の父、さがしている最中の父、見つけた父。どれも全て同じ父だが、見える顔が違う。見つけた父は、さがさなければ見ることがなかった一人の弱い人間としての父だ。娘にしてみれば、見つけ出したくない父だったに違いない。

人はいくつもの顔を持っている。状況によって人は変わる。
貧困、障害者、介護、自殺志願者、嘱託殺人、行方不明者と警察などなどの社会問題を交えた、でもエンターテインメントな本作の主題は、この点にあるのではないかと思う。関係が近ければ近いほど、この事実は見過ごされやすい。このごく当たり前であるようなシンプルな事実を、私たちは本当には理解していない。それが本作を鑑賞した私たちがさがし当てたものではないだろうか。

最後に付け加えると、本作のポスタービジュアルは内容についての興味を掻き立てる良作で、特に特徴的な題字のデザインが素晴らしいと思う。

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