新年度に思うこと

春が来て思う。自分はもう若くないのだと。


社会人4年目の春。新入社員を迎えるのは3回目。
1回目はまだ良かった。自分に後輩ができることに胸の高鳴りを感じていた。

それが今となってはどうだろう。
新入社員が採れたて新鮮野菜なら、私はかろうじて野菜室には入れてもらえているもののしなびて外側はもう食べる気がしない。瑞々しさはなく、生食は無理かもしれない。
根を生やしたまま成長できたのならいいけれど、いつからこうなってしまったのだろう。

かと言って後ろを向いているとは思わない。
新しいことだって始めた。
前には進んでいるはずなのに、希望を感じられないのはなぜだろう。

思えばあの頃は「自分に何ができるか」「誰のためになれるか」そういった事を考えていた。

でも今は、目先の生活を成り立たせることに必死で「どうすれば稼げるか」「もっと給料のいいところに転職するには何が必要か」とお金のことばかりで会社のことや関わる人のことは二の次になっている。
早く辞めて早く稼がなきゃと焦っている。


遠くない将来家庭を持つかもしれないこと、親の介護が必要になるかもしれないこと、そういった現実を考えるとどうしてもお金ばかりになってしまう。
金銭的余裕のなさがそうさせるのか、大人になるとはこういうことなのだろうか。


新入社員のフレッシュさを野菜に例えて「私はしなびた!」などと嘆いていたら先輩から「せめて発酵食品に例えなさい」と言われた。

今は現実に押し負けてしなびているし、若い力は新鮮野菜に見えてしまうままだけど、いつか切り干し大根のような貫禄と安心感を兼ね備えた存在に、はたまたキムチのような斬新な刺激を与えられる大人になれるだろうか。

春独特の雰囲気に塞ぎ込んでしまいそうになることもあるけれど、そんな過程があるからこそ旨味のある人間を時間をかけて目指していこうと思う。


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