見出し画像

薬の神さま神農さん

漢方の先生に勧められ、漢方の勉強をしています。
テキストに載っていて目に留まったのが神農(しんのう)

神農は、今から約5000年前の紀元前2740年頃に生きた中国古代の皇帝です。
医薬と農業を司る神さまとして、今もなお崇められているとのこと。


「神農賞百草(しんのうしょうひゃくそう)」という伝記では、神農のエピソードが次のように語られています。

神農は各地を遊歴し、多くの山や川を渡り歩きました。
見たことのない草を見つけたら、それを口に入れて嘗めてみて、毒があるかどうかを試してみます。もし毒がないならば、それを左側の袋に入れます。もし毒があるならば、それを右側の袋に入れます。
このように、神農は五穀を選び出し、人々に栽培させました。

YouTubeチャンネル『【中国語】雪の中国語』
https://youtu.be/ZYf_uX-EySo

自らの身体を実験台にし、毒の有無と効能を調べ世の中に広めた凄いお方です。

…なかなか真似できる行為ではありませんね。
神農が神さまとして祀られる理由がわかりました。

漢方の先生によると、神農を祀る神社が、大阪や京都にあるそうです。

神農に興味が湧き、早速近くにある京都の薬祖神祠(やくそじんし)に行ってきました。

薬祖神祠は、京都の二条通りにあります。
二条通りには、かつて多くの薬問屋が軒を連ねていました。

京都に昔から伝わる通りの数え歌からも、当時の光景をうかがい知れます。

一条戻り橋
二条の生薬屋
三条酒屋に
四条の芝居
五条の橋弁慶に
六条の本願寺
七条米相場に
八条のお百姓お百姓

「一条戻り橋」の歌詞

二条は生薬屋と覚えます。
当時は生薬といえば、二条通りだったのでしょう。

当時の光景を思い浮かべながら、二条通り界隈までやってきました。
薬祖神祠を探して歩いていると、石でつくられた鳥居が見えてきました。

薬祖神祠

薬祖神祠です。
創建は江戸時代後期の1858年(安政5年)。
二条の神農さんの愛称で親しまれています。

薬祖神祠で祀られているのは、中国の神農だけではありません。

大巳貴命(おおなむちのみこと)小彦名命(すくなひこなのみこと)という日本の神さま。
そして、「医学の父」と呼ばれたヒポクラテスという古代ギリシャの医者まで祀られています。

和・漢・洋と、幅広い国の神さま。
それが一つの神社で祀られているのは珍しいですね。

早速、中に入ろうと近づくとガラスに映りこんだ自分の姿にギョッとしました。
上の写真のようにガラスで遮られ、奥に見える本殿へと進むことはできません。

毎年11月の第一金曜日になると、薬祖神祭というお祭りが行われ、その時にだけ本殿が公開されるようです。

本殿の手前には部屋のような場所があり、様々なものが置かれています。

神農像ヒポクラテス像
さらには、御神輿太鼓獅子舞まで置かれていました。

お祭りの時に使われるのかもしれませんね。

日頃お世話になっている薬に感謝の気持ちを伝えられる場所。
また11月のお祭りの時期に行ってみたいと思います。

■名称
薬祖神祠
■住所
京都府京都市中京区東玉屋町

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?