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「ジャグリングを舞台でやる」――CwCの第8回公演について(2021.4)

はじめまして。Circus without Circleです。本記事は、代表の丹がかつて書いた「CwCの第7回公演について」という文章を、2021年4月版として再編したものです。(文/丹哲郎、写真/ コムラマイ、編集/中川賢斗)

「ジャグリングを舞台でやる」ときに問われるもの

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「演劇を舞台でやる」というのは、ごく自然なことです。その概念の射程にははじめから上演が含まれているからです。対してジャグリング(やダンス)は、その概念の射程に上演までが含まれていません。単なる運動の性質をあらわしているにすぎないのです。

したがって「ジャグリングを舞台でやる」ときには、常に「どうやる?」「なぜやる?」という問いがついてまわります。ここで、ジャグリングを「走る」とか「ジャンプする」などと読み替えてみると、わかりやすいと思います。「舞台上で、走る」とは、どういうことだろう?と。

素朴なモデルでは、やりたいことが最終的にあり、その手段として「走る」ということを選択するように思えます。

では、はじめからジャグリングという手段をとっているわれわれは、アプローチが逆であるということになります。ここが引っかかっている人は多いのではないでしょうか。

素材から出発するアプローチもある

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とはいえ、「表現される主題」がまずあって、それに対して適切な手法やマテリアルを選択するよ、というのはあまりに素朴すぎるモデルです。

逆に、マテリアルから出発して主題が後からついてくる、というアプローチも古来より存在します。ミケランジェロが石の塊から、掘られるべき姿を見出していたことは有名です。

たいていの創作物には「着想」というものが存在します。例えば、主題の次元(環境問題をテーマにしました、など)や、動きの質感、ギミックの次元(雪が降る姿から着想を得ました、など)など。

素材から出発するアプローチは、主題から出発するアプローチと、着想ドリブンで動いているという点では共通しています。ただ、その着想を得る元が扱う素材そのものであった、という部分が相違しているとみることもできるのです。

ジャグラーの考え方価値観、カルチャーは作品のあらゆる箇所に反映され得る

さて、ここでいう「素材」とは具体的には何になるのでしょうか? まあ、ジャグリングの運動自体が素材である、というのはわかります。

ジャグラー自体が素材だ、という考え方もあるでしょう。例えば、レゴなどのマニュピレーションの考え方や、単純に道具を並べたいという美意識、ネガティブスペースや「固い技」「柔らかい技」などの身体感覚など、他と比べてもジャグラーという素材自体が面白いということも十分考えられます。

なんにせよ、どういう素材を使うか、その素材のどのような性質に着目するか、などによって「ジャグリングを舞台でやるとはどういうことか」が決まる、という側面はあります。

そして、素材とは出演者だけにとどまらず、演出や照明、音響などアウトプットにかかわる関係者すべてでありえます。すべてのアウトプットが、各人の価値観のフィルターを通したものになる以上、ジャグラーの考え方や価値観、カルチャーは作品のあらゆる箇所に反映され得るわけです。

「たくさんの喪失について」の作品の主役は、詩の朗読ではない

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さて、公演の話をします。2015年8月に上演された「たくさんの喪失について」という作品の再演をやります。

ワーク・イン・プログレスである「ミス・ユー・オール」と同様に、「たくさんの喪失について」は素材としてジャグリング自体を扱っています。

具体的には、以下のような着想です。

・縁側で雨を眺めるようなパターン自体の寂寞感
・リスクを伴う運動と、それに対峙する体のうつくしさ
・会話のようなリズム

「たくさんの喪失について」の特徴として、膨大な量の詩の朗読があげられますが、それはあくまでも作品の主役ではありません。ジャグリングの運動自体がもつ情動に着目し、それを楽しむものとして朗読が配置されています。

「屋上で眠る」は夢についての作品である

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「屋上で眠る」というタイトルは、サカナクションの「グッド・バイ」という楽曲のMVからとっています(サカナクションのMVでは「眠る」「起きる」というモチーフがよく使われます)。

「たくさんの喪失について」の朗読の冒頭で、「朝」というセリフが入ります。これは、「朝起きるとき、夢を失っているのではないか」という着想から来ています。

「屋上で眠る」は「夢」についての作品です。どちらかというと、ジャグリングのもつ奇妙さや、動きのおもしろさなどを扱っています。

観客(=あなた)による「妄想」を楽しんでほしい

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「たくさんの喪失について」「屋上で眠る」という作品は、それぞれが膨大なモチーフと着想に支えられています。

例えば「屋上で眠る」には引っ越しというモチーフが出てきます。一人暮らしで借りていたアパートを引き払うと、今まで当然のように入れていた部屋に入れなくなるわけですが、これって「夢から覚める」のと似てるよねという着想です。

CwCがどのような理念の団体か、ということに関わってきますが、公演を観に来てくれるみなさんには、用意されたものを理解し、のみくだすという気持ちだけではなく「そこに何かを見出す」ことを楽しんでいただけたら、と思っています。

「表現よりも対話を、意味よりも着想を、与えられるものよりも見出すことを大事にする」 (団体理念より)

これは、読んで字のごとく「対話型の開かれた作品を目指すよ」という宣言です。

例えば「これは戦争の悲惨さをあらわしているんだな」という「表現 = 対象」という素朴なモデルではなく、「これはひょっとしたら、『ハイペリオン』の転位ゲートが働かなくなった宇宙なのではないか」という、観客(=あなた)による「妄想」。そんな妄想を喚起させる仕掛けとして演出がある、という考え方で創作しています。

ということで、CwCはあなたとの対話を待っています。公演の予約は既にできるようになっています。ご興味あればご予約いただけると嬉しいです。


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