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CwC代表・丹哲郎インタビュー【前編】ジャグリングとダンスとの出会いと、団体の設立について

CwCの代表である丹哲郎のインタビューを、前編・後編に分けてお届けします。前編では、ジャグリングとの出会いから現在に至るまでの経歴について聞きました。(インタビュー・構成/岡本直子)

プロフィール:丹哲郎(たん・てつろう)
1992年、東京都生まれ。15歳でジャグリングを始める。2011年に東京大学に入学し、ジャグリングサークル「マラバリスタ」で活動すると同時に、コンテンポラリーダンスサークル「Komaba Performing Arts Studies(KomaPAS)」でダンスを学ぶ。2012年から振付を始め、2013年2月には若手振付家のコンクール「横浜ダンスコレクション」に出場。2013年9月にジャグリングカンパニー「Circus without Circle(CwC)」を旗揚げ。大学卒業後はプログラマーとして働きながら、CwCの活動や、社会人劇団等への振付・出演を行っている。

――ジャグリングを始めたきっかけを教えてください。
 中学3年の秋のこと。僕は中高一貫校だったんですが、1年生のときに入ったサッカー部はすぐ辞めてしまって、当時は帰宅部でした。その頃、クラスメイトの一人がジャグリングをやっていて、彼にジャグリングを習ってる人が何人かいたんですけど、「俺も暇だから入れてくれない?」みたいな感じだったと思います。


 ジャグリングの道具は色々ありますが、僕が最初に選んだのはデビルスティック(※)です。はじめのうちは難しすぎて全然できなくて。フラワースティックっていうのを使うと簡単らしいっていうのを聞いて、高校2年生くらいの時にフラワーを始めました。

※デビルスティック 3本の棒を使ったジャグリング。棒の両端に飾りをつけたものをフラワースティックという。

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フラワースティックを使う丹(写真は大学時代)

 ちょうどその頃、sunさんというフラワースティックのジャグラーが色んな大会で優勝して、脚光を浴びていたんです。僕もその動画を見て「すげえ」ってなって、sunさんが使っているのと同じ道具を買って練習していました。


 当時はまだTwitterが普及していなかったので、みんなmixiを使っていました。mixiにジャグリングコミュニティがあって、僕もそこに「新しい技作りました」とかアップしていたんです。そうしたらある時、sunさんから僕に直接メッセージが来て、「一緒に練習しませんか」って言われて。わざわざ僕の近所の公園まで来て、色々教えてくれたんですよ。嬉しかったですね。他にも、現在プロのジャグラーとして活動しているぱわあさんから、直接フラワースティックを教わったりもしました。そうやっていろんな人と交流したり、技を作ったりしているうちに、大会にも出るようになって、だんだん上達していきました。


 他に影響を受けた人は、2007年のJJF(※)で優勝したSさんですね。モダンダンス系の、すごくきれいな動きをするデビルスティックの人だったんですけど、それを見て、「すげえな、俺もダンス的なものを身に着けたいな」と思うようになりました。で、当時、クラスにバレエをやっている女の子がいたので、「バレエ教えてくれない?」って頼んで、ちょっとだけ教わったりもしました。何を教わったのかは完全に忘れましたけど。

※JJF(Japan Juggling Festival) 日本ジャグリング協会が年1回開催しているイベント。競技大会の他、練習会やステージショーも行われ、日本中のジャグラーが参加する。

 その後、東京大学に入学し、コンテンポラリーダンスに出会います。大学ではジャグリングサークルの「マラバリスタ」に入ったのです。Sさんみたいなダンスが習えるサークルにも入りたいなと思っていました。なかなかいいサークルが見つからなかったんですが、たまたま5月の文化祭で、「Komaba Performing Arts Studies(KomaPAS)」というコンテンポラリーダンスサークルのパフォーマンスを観たんです。


 色々と前衛的なパフォーマンスだったんですけど、特にその中にいた男の先輩がすごくかっこよくて、「俺もあの人みたいになりたい」と思ってKomaPASに入りました。この時、ダンスは完全に素人だったんですけど、先輩たちが丁寧に教えてくれたおかげで、上手い人たちに混じってなんとか踊れるくらいには上達しました。大学2年生になってからは、もっと上手くなりたいと思って、近所のモダンダンスの教室にも通い始めました。だから僕のダンスの技術は、KomaPASと、そのモダンダンスの教室で、並行して身に着けていった感じですね。

 あと、KomaPASではダンスを踊るだけじゃなくて、ダンスに関する読書会や勉強会もやっていたんです。そこでピナ・バウシュとかニブロール(※)とかの作品を知って、すごく影響を受けましたね。例えば、ピナ・バウシュの『カフェ・ミュラー』っていう作品に、椅子をいっぱい倒すシーンがあるんです。当時それにはまって、自分がジャグリングをやるときに、特に意味もなく椅子をめっちゃ倒したりしてました。

※ピナ・バウシュはドイツの振付家(1940-2009)。ニブロールは、振付家の矢内原美邦(1971-)が主催する日本のダンスカンパニー。

――ダンスの振付を始めたのはいつですか?
 ジャグラーとして自分の作品を作るということは当然もともとやっていました。ダンスの振付を始めたのは大学2年生からです。KomaPASの先輩に、「振付できそうだからやってみなよ」って言われて、5月の文化祭でソロ作品を発表しました。それが好評だったので、「横浜ダンスコレクション」という若手振付家のコンクールに応募することになりました。夏休みを丸々使ってソロ作品を一つ作ったんですが、ビデオ予選に通って、冬の本選まで進むことができました。今思うと、僕、大学に入るまでまったくダンス経験がなかったのに、2年間で結構頑張りましたね。

――大学3年生の9月に、CWCの旗揚げ公演を行いましたね。
 CwCは、僕と氏家くんという後輩との2人で旗揚げしました。氏家くんも、最初マラバリスタに入部して、その後KomaPASに入ってきた人です。カンパニーを立ち上げた理由は、KomaPASで作ってきたような舞台作品を、ジャグリングでもやってみたかったっていうのが第一なんですけど、背景にはもうちょっと広い問題意識がありました。

――問題意識とは?
 当時の学生ジャグリング界を変えたいっていうことですね。ジャグリングサークルというのは、僕が所属していた東大の「マラバリスタ」をはじめとして、全国の大学にあります。活動内容はどこも、普段は定期的に練習会をやって、たまに文化祭とかのステージで発表して、競技大会に出て、という感じです。でも、そういう学生サークルの枠の中だと、活動の幅がどうしても狭くなってしまうんです。


 例えば僕は、文化祭のステージショーでも、さっき言ったような、椅子をバタバタ倒すみたいなことをしてたんですけど、そんなことをやってる人なんて他にいないから、すごい浮くんですよ。司会者も「独特のパフォーマンスをしてくれる丹くんです」みたいな紹介をしてくるし(笑)。サークルの人たちはみんな優しかったので、僕が尖った作品を発表しても受け入れてはくれましたけど、一人だけ作風が浮いてるっていうのはやっぱりやりづらかったです。競技大会も、技術の高さを競う場なので、アートとしての面白さを評価してくれるわけではない。これは東大のサークルに限った話ではなくて、他大学のジャグリングサークルも似たような状況でした。そういう学生ジャグリングの現状に物足りなさを感じている人は、当時、僕以外にも何人かいたんです。


 僕が理想的だなと思っていたのは、同じ東大の演劇サークルの状況です。東大には大規模な演劇サークルが3つある。本格的に演劇をやりたい1年生は大体そこに入るんですよ。でも、3年生になるとサークルを卒業して、その後も演劇を続けたい人たちは、自分たちで小さい劇団を作って公演をやるんです。ジャグリング界もそんなふうに、マラバリスタのような大きいサークルもありつつ、そこで経験を積んだ人たちが各々の目的意識に沿って団体を作る、そういう流れを作っていくべきなんじゃないか、という思いがありました。


 そういうわけで、学生ジャグリング界に小さな団体がたくさん生まれるといいなと思って、僕がその先駆けになるつもりで立ち上げたのがCwCです。Circus without Circle(輪のないサーカス)という団体名も、「一つの大きなサークル(輪)という単位ではなく、目的意識をもった小さな集団が流動的に活動していく」という意味でつけました。CwCは旗揚げ当初から、メンバーを固定せず、公演ごとに出演者を集めるという形をとっているのですが、その背景にも、公演に出た人たちが、それぞれ自分の団体を作って活動してくれたらいいな、という狙いがあります。まあ実際には、自分で団体を立ち上げるというのはやっぱりハードルが高いみたいで、それをやった人というのはあんまりいないんですが。

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旗揚げ公演『そうして僕らは服を着る』

――旗揚げ後、CwCは2年間にわたり活動を続けた。2015年8月の第6回公演『たくさんの喪失について』を終えた後、長らく活動を休止する。
 僕は2015年の3月に大学を卒業しました。その時点で就職先は決まっていたんですが、入社が10月だったので、半年間は暇だったんです。その間にじっくり時間をかけて作ったのが『たくさんの喪失について』でした。


 8月に公演が終わった後、10月から就職したんですが、会社員になったらとにかく忙しくて、CwCの活動は実質休止していました。その間も一応、友達がやってる劇団に振付をしたり、演者やスタッフとして参加したりという活動は続けていたんですが、以前のように自分が主催して公演をやる、というビジョンはなかなか持てなかったですね。それに、『たくさんの喪失について』は、それまでの僕の作品の集大成的なところがあって、そこでやりたいことをすべて出し切ってしまったので、正直、次にやりたいことというのもすぐには思いつきませんでした。

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第6回公演『たくさんの喪失について』舞台裏

――4年半のブランクを経て、CwCは2020年2月に第7回公演を行いました。活動を再開しようと思ったのはなぜですか?
 大きなきっかけは、KomaPASの卒業生有志が「MoF」という新たなダンスカンパニーを立ち上げたことです(※)。僕は旗揚げ公演に照明スタッフとして参加したんですが、ふだん会社員とかをやっている先輩たちが、独創的で、かつ色々な人が楽しめるような良い作品を作っていて。僕ももう一度、こんなふうに公演をやりたいと思うようになりました。

※MoF 日本女子体育大学と東京大学の卒業生を中心として、2018年に発足したダンスカンパニー。2021年までに3回の公演を行っている。 https://twitter.com/MOF_0923

 あとはもう一つきっかけがあって、大学時代に一緒に作品を作っていた仲間に久しぶりに会ったら、「今お前何もやってないじゃん、昔やろうとしてたことは結局なんだったの?」みたいなことを、まあ、すごい遠回しに言われたんですよ。それで「舐めんじゃねえぞ」って思って、奮起したっていう経緯もあります、実は。


 学生のときは、「今のジャグリング界は間違ってる、俺が変えてやる」っていう気持ちがありましたけど、社会人になったら、もう、そういう思いをぶつける場所自体がないですからね。誰かに見てもらいたかったら、自分で発表の場所を作ってやるしかない。だから今は、とにかく自分のやりたい作品を作って、続けていく。それだけだと思ってます。

CwC第7回公演 ダイジェスト映像https://www.youtube.com/watch?v=IyuF-th-muQ


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