今年の挑戦のひとつ #1
スマホのホーム画面の整理をしてみました。
実践してみたら確かに気分がいい。
変化が苦手なので慣れるまでは画面を開くたびにソワソワしてしまうけど、心に余裕ができた気がするし、いたずらにスマホを触ろうという気にならない。
ホーム画面の余裕は心の余裕ですね。
先日バイトの面接をしてきました。
今年は特に「行動力」を強くテーマにして生きているので、その挑戦の一環です。
案の定いつも通り、杞憂いっぱい不安いっぱいで、自分が何をしたいのか、何で新しくバイトを始めようと思ったのかとか、もう何が何だか分からなくなって。
自分が踏み出したくて踏み出した一歩で、好転するかもしれないのにどっと疲れて、感情を表に出すことを忘れて、ぽや~っとして。
軌道に乗って、このままいけそうかも!って少しでも思えるまでは、この選択が間違ってたんじゃないかと疑って。
マジョリティができることを悉くできずに、またはやろうともせずに生きてきたこの私に、できるのかね。
いっつもこうなります。
相変わらず、ネガティブな妄想がどんどん膨らんでいき、お得意の逡巡タイムの始まり。
まず、これは面接以前の問題で、新しく始めることに私の生きがい(趣味)がたっぷり含まれた生活リズムを侵されること崩されることへの不快感・不安感のようなものもあり、本当に私は働く覚悟があるのかと、わがままな自分に辟易しました。
マジでこれは甘えでわがままなのはわかっているけど、趣味のおかげで生きている私にとっては重要なことだから。
でもこれってエゴなんだよなあ。
大人になるということは何かを諦め、捨てなければいけないのだ、多くの大人が日々の生活を成り立たせるためにそうしているのだ、甘ったれたこと言うんじゃねえ、と脳内バトル。
こうやっていろんなコンテンツのファンでいられなくなってくるのだなあ、とバンドの客は4年で入れ替わる説を痛感しました。
環境が変われば、好きなもの全部をいつまでも同じ熱量で追いかけ続けることはできない。
趣味に割く時間が変わったり、起床時間やご飯を食べる時間が変わったり。
いつもと違う、に慣れるために能動的に生活リズムを崩していかないと。
次に面接に関して、「上手くいかなくても数打ての精神でやってみて、体当たりしながら経験値を積み重ね、向き不向きを判断していくしかないよな~」と、自分の気持ちを期待も悲観もしないフラットな状態(諦めモード)に頑張ってもっていきました。
しかし「担当の方はどんな人なんだろう」と、いらない想像が不安と緊張を助長。
そこから気持ちの波の動きが多く、「もうなんか、ハラスメントとか嫌がらせをされなければいいや」と、どうでもよくなってきました。(個人的理想のフラットな状態)
結果的に当日対応してくださった方がとりあえずは人当たりが良い方だったのでよかったです。
まあ、この人手不足の社会で初っ端からつっけんどんな対応をする方がおかしいか。
自分の性質やパーソナルについて聞かれたときは、やっぱりちょっと涙目になってしまったけど、最低限のことはできたので及第点。
私の性質はグレーゾーンなので、この性質を言わないままでもなんとかやっていける可能性はあります。
しかし以前のバイト関連の記事でも書きましたが、私としては受け入れてもらったうえで採用された方がいい、という気持ちがあります。
言わないまま採用されて特性が爆発したときに、採用されるために自分を偽って隠していたみたいで嫌だから。
でも、正直に言うことによって「うちが求めていることをできる人材じゃないかも」と思わせてしまって、自分の首を絞めて、可能性や選択肢を狭めていることもあるかもしれないな、とか思ったり。「変な性質もった奴来たよ」とか陰口言われてたらどうしようとか無駄な被害妄想をしたり。
採用不採用の結果はまだ分からないけど、どっちに転ぼうがつきまとうのは、性質による、通勤時間を含めた体力・気力がもつかの不安です。
そんないつもの杞憂を抱えていますが、今やっているバイトは3年も続いているので、それはとても自信につながっています。
つづく。
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