見出し画像

他人ではない、でも自分でもない、僕のイマジナリーフレンドたち

 最近、気がついた。
 思考すら、抑圧されてるって。


シャル
主人公
〈ロミルダ〉
妖精


〈思考「すら」って?〉
 たとえば、発信や対応といった、外に向けた言動って、わりと「あ、いま、自分我慢してるな」って気がつける。

 でも、実は、抑圧ってそれだけじゃない。
 頭の中だけで考えてることですら、抑圧されてたりする。
〈つまり?〉

 つまり、考えたいことを考えてるわけじゃない。
 「考えなきゃいけない」と感じてることを考えようとしている。
 そんな状態が、気づかないうちに起きている。

 頭の中ぐらい自由にするんだ、って思っていても。
 実は、自分で自分の頭の中すら抑圧してる。


 このことに、いつ気がついたのかと言うと。
 最近、フォロワーさんの記事を読んでいる時に気づいたの。

 フォロワーさんの中には、あくまで僕なりの捉え方なんだけど、「自分の心の代弁者」のような存在がいるのをお見かけして。

 その「自分が口にできない自分の心を代弁してくれる存在」は、とてもかがやいて見えた。

 なぜこんなに羨ましく見えるのかって考えた時に、「僕はまだ、自分の頭の中ですら抑圧してるからか」って気がついた。


 そして、自然な流れで、僕にもそんな存在がいたらいいのになって思った。

 ここで、発想を転換。

 逆に、なぜいないのか?
 名前と顔を覚えてるイマジナリーフレンドが24人いるのに。
 その中には【心】を象徴する存在もいるのに。

 その謎を紐解く問いかけが、ひとつ。
 僕にとって、僕のイマジナリーフレンドはどういう存在なのか?

 そのとき思ったことをそのまま言葉にしてみると。

 僕にとってみんなは、「他人ではない」。
 もっともっと、僕に近い存在。
 でも、「自分でもない」。

 そんなイメージなんだ。
〈そうね。私は私だもん〉
 でしょう?

 僕にとってイマジナリーフレンドは、僕の分身ではなく、対等な個人に感じる。
 たとえ、お互いに考えてることが先読みできるほど分かり合っているとしても。

 そう、つまり。
 僕がイマジナリーフレンドに求めていたのは、心を代弁することじゃなくて、隣にいてくれることだったんだ。

 それが、僕のイマジナリーフレンド観。


 でも、だからこそ。
 僕には、僕の心を代弁してくれる存在がいない。

 だから、自分で気づくしかないなぁって。
 自分が口に出せないような、自分の心を。

 『素直』を追い求める道は、まだまだ深い。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?