そうやって今日も、近づく一歩が踏み出せないでいる。
昨日のつぶやきの続きのお話。
ここで書いた関係を、具体的に言うのならば。
イマジナリーフレンドの話を真剣にできる相手、と言えるかも。
無論、これは具体例の一つ。
抽象的に言うなら、「心の奥深くまで、安心して話ができる相手」、となるのかな。
そして、そんな相手が好きで、そんな相手から好かれてると信じられること。
そんな関係に憧れるのだろう。
普通の人(何が普通なのか、なんて定義できるわけないのだけど、便宜上ここではこう表現します)は、友達や恋人や家族に、そう思える人がいるのかもしれない。
でも、僕は、僕の心のすべてを安心して語れる相手がいなかった。
たぶん、イマジナリーフレンドがいたから。
僕の心をすべて語るには、そこはどうしても外せなかった。
そう、僕の場合。
イマジナリーフレンドの話は、友達にも、恋人にも、家族にもしてこなかった。
できるはずがなかった。
自分がおかしいとは思わなかったけど、軽々しく口にしていいことでもないと思っていたから。
だから、僕は、今まで、そんな話ができる人と出会ったことがない………と言ったら嘘になるけど、極端に少ないのも事実。
だからこそ、僕はnoteを書いているのかもしれない。
誰かに、僕の心のすべてを聞いてほしくて。
ならば、僕は、僕のnoteの読者さんと、求めている関係が築けるのだろうか…?
読者さんは好き。
特に好きな人もいる。
でも、そういう人に、僕が好かれているかどうか…。
読者でいてくれるという点だけで、好かれているのは間違いない、とも言える。
スキをしてくれる人。
コメントを書いてくれる人。
メッセージを送ってくれる人。
そういう人を見かけるたびに、好かれてるなぁ、ありがたいなぁ、と思うのも確か。
ただ、それが、僕が求めている好きなのかどうか、いまいち自信がない。
具体的な例を挙げるならば。
「僕が好きなのか、僕の文章が好きなのか」
僕は、ここでは物書きなんだ。
僕の文章が好かれればそれでいい。
でも僕は、それ以上の特別な「好き」も欲しい、と思う欲張りさん。
それも、僕が好きだと思える相手からの「好き」が欲しい。
そして、好き合っている関係になりたい。
だけれども。
僕は、僕が好かれていると信じる心が、欠けている。
まるで三日月のように、心に暗い影がある。
だから、「好き合う」という条件が、なかなか難しい。
「好かれる」という状況が久しくなくて、もう、どんな感覚か忘れてしまったからなのかもしれない。
僕を好きになる人がいるわけがないという自信のなさもあるだろう。
そんなこんなで、好かれてるかどうかわからない。
結果、好かれたいのに、好かれてることに自信が持てない。
だから、ずっと渇いたまま。
ならば、こちらから近づこうとするしかない。
僕が好きな、僕を好いてくれそうな人に。
でも、その判断は勘違いかもしれない。
本当に僕を好いてくれているのか。
好いてくれる余地があるのか。
そう。
勘違いしたくない。
過去、思いっきり勘違いして、今も引きずるほどの、それはそれはひどい目にあったんだから。
そうやって今日も、近づく一歩が踏み出せないでいる。
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