![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/54719313/rectangle_large_type_2_4a31e7d4148bdbcf25a92fb3ac7d0b42.png?width=800)
誰もが自分の世界を持っている
誰もが、自分の世界を持っている。
そんな気がする。
それは、この地球だけとは限らない。
もちろん、この現実こそが唯一であり、そこに自分は存在する。
それだけを考え、感じている人もいるだろう。
それはそれでいいと思う。でも、そうではない人もいる。
「イマジナリーフレンド」という単語を最近知った。
「架空の友人」という意味らしいが、あまり肯定的な文脈で使われるところを目にしたことがないから、好きな言葉ではない。
だが、それが示すものにはとても興味がある。
自分の頭の中にいる友達、空間、世界観。
それらは主に、「実在しない」という理由で一笑に付される事が多い。
早計である。
物理的に触れなければ、地球上に存在しなければ、その存在は完全否定されるしかないのだろうか。
もしそうならば、この世の『物語』はすべてその価値を失ってしまうだろう。
しかし、まさしく、「現実」には、『物語』は価値あるものとして扱われている。
別に物語を尊べだとか、そういう話じゃない。
他の人の目に見えなかろうが、触れられなかろうが、それを大切に愛している人もいるってことを、認識してもらいたい。
驚くかもしれないが、そういう人たちは、地球を唯一の現実と思っている人が当たり前に現実を見るのと同じように、別の世界を見ることができる。
見えるのだもの。それはその人にとって実在するといっても過言ではないのではないか。
その「可能性」を、認識して欲しい。
ただ、それだけです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?