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「偏り」こそが、その人らしさだ。CIAL代表 戸塚 佑太の思想・哲学

「偏り」という単語を聞いて、何をイメージするだろうか。

「偏見」や「偏狭」、「偏屈」などネガティブなイメージを想起されやすいこの単語だが、「偏愛」という言葉に関しては、ポジティブなニュアンスとして捉える人もいるだろう。

例えば、資生堂のオウンドメディア「花椿」では様々なフィールドで活躍する方がお気に入りの資生堂のデザインや商品などを紹介する「偏愛!資生堂」という連載コラムがある。また、三越伊勢丹のオウンドメディアでも同社で活躍するスタッフが愛してやまないモノたちを紹介する「私の偏愛」という連載企画がある。

他にも、自分の好きなモノを書き出し、相手との距離を縮める「偏愛マップ」というコミュニケーション手法もある。

こうした事例からわかるように、「偏り」という言葉にはその人の「らしさ」という意味を含んでいるように思われる

「人の偏りが受け入れられる社会にしたい」。デザインファームCIALの代表、戸塚はそう話す。

現在、CIALではコーヒー事業とデザイン事業の二つを軸に据えている。デザインファームと名乗っているが、実はもともとCIALはコーヒーのブランドを生業にする予定だった。デザイン事業にも手を広げた背景には、「偏り」を大切にする彼の思いがあった。

「自分はこれでいいんだ」と思えたウガンダ留学

自分は、その「偏り」こそが、その人の生きるためにすがれる最後の支柱だと考えていることに気付きました。それが、その人にしか放てない魅力になるはずだ、と思っているんだ。(戸塚のnote「誰かの「偏り」を愛し続けたい。CITENというサービスをつくったわけ。」より抜粋)

彼が「偏り」を意識するようになったのは、中学時代のこと。あるコンプレックスが理由で、周りに合わせるのに必死だった。自分の「偏り」を隠さないといけないという気持ちを抱えていた。

高校では学外の人とばかり仲が良かった。同じ高校に通う人と比べると浮いていると感じ、今度は「偏り」を肯定しないといけない、と自分せき立てた。

大学に進学後は、社会人として求められることに自分を合わせるため、自己啓発本を読み漁った。

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「自分の社会的存在価値を周りから問われている気がしてた。『7つの習慣』とか、たくさん読んでたよ」

周りに合わせなければいけない。そんな彼の周りにうずまく空気を壊したのは、1年間のウガンダ留学だった。好奇心から自ら選んだ留学先だったが、Wi-Fiもほとんどつながらないウガンダで、「自分は何しているんだろう」と思う日々が続いた。

「日本でどんどんと新しいモノをつくっている友人や、アメリカなどのコンピュータサイエンスの発展している場所で学んでいる知人などを見ていて、焦りが生まれていてつらかった」

ところが、3ヶ月も経つと自分の考えに変化が起き始めた。

自分がなにもできないゆえに、『周りの人がどうとか、もうどうでもいいかも』って思えるようになってきた。『自分は社会的に価値のあることをしなければならない、そのために成長しなければならない』っていう脅迫観念から解放されて、自分が本当に大切にしたいことに少しづつ向き合えるようになった」

市場と自分の気持ちの折り合いに苦しんだ起業経験

ウガンダから帰国後、同国の社会情勢を知る中でソーシャルビジネスに興味を持った彼は、知人に誘われて起業をする。メンバーの3人は全員大学生、岡山から東京に出てきて、ワンルームのマンションに寝泊まりしながら、まずは事業をつくっていくことを念頭にスクラップ&ビルドを繰り返した。

「Facebookをテーマにした『ソーシャルネットワーク』っていう映画があったじゃん。あれとか見ると『やってやるぞ』って気になって、とにかくがむしゃらに働いていた」

そして、とあるテーマを題材としたキュレーションメディアが伸び、売上げがつき始めた。しかし、積み上がっていく数字と裏腹に、彼の心は沈んでいた。

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つくっているサービスに全然自分の魂が入ってなかった。一緒に働いているメンバーは好きだったんだけど、やっていることの意味を見出せなかったんだよね。毎日Google Analyticsの数字とにらめっこして、何のためにやっているんだろうって」

自分の気持ちに嘘をつき続けた結果、精神的につらい日々が続いた。

「エクイティファイナンスをしていたから、上場することが前提だったんだよね。そのためにはある程度の経済性を獲得しなければならない。だから、自分たちがやりたいことよりも、市場とトレンド起点で考えたサービスだった。自分はそれでもいいと思うほど折り合いがつけられなかった」

彼が藁をも掴む思いで始めたのが、CIALの前身となるコーヒーにまつわる事業だった。

「ウガンダで初めてコーヒーを飲んだことをきっかけにその美味しさと生産環境にずっと興味を持っていて。自分の大切にしていることを仕事にしないと、このままもっと疲弊してしまうと思った。それで、週末の副業でコーヒーに関するメディアを始めました」

資金集めで気づいた「自分についていた嘘」

メディア事業を始めた翌年には、ウガンダの豆を自ら提供するべくコーヒースタンド「Colored Life Coffee」をオープンする。時期を同じくして、知人に誘われたスタートアップからは身を引いた。

自分のやりたいことをフルタイムの仕事にできる。そう意気込んでいたものの、現実は甘くなかった。カフェ業務の忙しさのあまり、自分たちがColored Life Coffeeを通じて実現したい未来について考える時間はほとんどなかった。

店舗という形態にも課題があった。お客さんの多くがColored Life Coffeeに訪れる理由はそこで働く人という環境の魅力であり、同一の店舗ブランドとしての拡大が難しかった。

お客さんの満足度を高めようとコーヒーの種類を増やすと、一つの生産国当たりに還元される利益は減ってしまう。自分たちの思いを広めていくには壁が高かった。

「自分たちの求める未来のために、その過程をないがしろにせざるを得なかった」

最終的にColored Life Coffeeは1年と3ヶ月で閉店することになる。だが、彼はウガンダのコーヒーへの「偏愛」を諦めたわけではなかった。改めて、自分の思いを実現するためにベストな方法は何かを考えた。その結果生まれたのが、オリジナルのコーヒーブランド「MATERIA」だった。

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プロダクトであれば、モノ自体に価値がつくため、お店自体を増やさなくても流通によって販路を拡大できると考えたのだ。

「当初MATERIAはバルミューダやPatagoniaのようなブランドに育てていきたいと思っていた。そのために資金調達をして一気に伸ばしていこうと考えていたんだけど、投資家をまわっている中でふと気づいた。『あ、上場したいと思っていなかった。自分に嘘ついてるな』って

自分に嘘をついても一つも良いことはないと、彼は身を持って知っていた。投資家まわりをやめ、代わりにクラウドファンディングでMATERIAの資金を集め始める。純粋に思いに共感して支援をしてくれるクラウドファンディングという形式は彼にとって相性が良かったのかもしれない。無事、目標金額を達成し、MATERIAは世に放たれた。

デザインとは、誰かの「偏り」を抽出する行為だ

MATERIAの製作に伴い立ち上げたがCIALだった。当時、MATERIAに関わる人への報酬は、彼が稼いだ分を捻出していた。しかし、自分だけが稼ぎ頭になり、経済性だけを優先しては再び疲弊してしまうことは目に見えていた。CIALがチームとして機能するために何ができるか。改めて自分たちのらしさや思いを届ける手段を考えたとき、思い出されたのがMATERIAをデザインするプロセスだった。

自分たちの思いを形にしていく過程がスゴく面白かったなと思い出した。そして、同じように自分のらしさ、偏りを形にしようとする人に伴走したいと思った。自分が自分らしくいれる状態をようやく見つけた気がした

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その思いの通り、デザイン事業を始めてからの2年間で、カカオ開発ベンチャーフーズカカオの手がけるカカオのお菓子「CROKKA」や信州リンゴのグラノーラ「RINO」などのコンセプトデザイン。岡山のデニムブランド「ITONAMI」のリブランディング。暮らしの最適化をビジョンに掲げるUnitoのアイデンティティデザインなど、様々な領域でその人の偏りに触れてきた。

こうした経験を通じて、デザインとはその人の「偏り」を掘り起こす行為だと気づいた。

「自分の才能や得意分野は自分が一番気づかないっていうように、『偏り』も自分だと気づけない。『偏り』というのは、その人の価値観が堆積したモノだと思っている。人は誰しもが『偏り』を持っているけど、周りに合わせたり、空気を読んだりしちゃう中で、それが埋もれてしまっていく。だから、価値観を言語化、抽出して、意識下に引っ張ることで、初めて自分の『偏り』に気づける。そのために、僕はデザインを手段として用いているんです

「偏り」が受容される社会へ

CIALのビジョンは「思想・哲学が力になる社会」だ。これは、戸塚の考える「人の偏りが受け入れられる社会」の意も含んでいる。

「僕は、一人ひとりの偏りが社会に受け入れられて、そして、その偏りを出せば出すほど、自分のやっていることが上手くいくような社会にしたい。『しなければならない』という思いでつらい思いをしている人を一人でも少なくしたい。自分自身が、自分の思いに蓋をして苦しんだからこそ、そう思う

ビジネスの世界では、その存続のために一定の規模で市場に受け入れられることが求められる。そのためには、一人ひとりの「偏り」を市場にいる届けたい人に伝わる形に翻訳する必要がある。その結果、「偏り」が市場に広がっていく。

「偏り」を発現できる人が増えれば、それに触れて、自分の「偏り」に気づく人も増えていくだろう。そうした人が増えていったとき、自分の「偏り」を出すだけでなく、誰かの『偏り』も面白がることも大切だという。

「よく自分との違いを”認める”というけど、僕は”認める”という言葉は相手の『偏り』に接する上でまだ、足りないと思っている。”認める”は、『自分と違うけど、まぁそこにいて良いよ』という姿勢。そこから一歩踏み込んで、その違いを面白がる姿勢を持つことで、それぞれの『偏り』が受容されるだけではなく、それを発露することができる社会になっていくんだと思います

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CIALでは企業のアイデンティティや地域のものづくりをデザインを手段としてお手伝いしています。ご興味のある方はお気軽にご連絡ください!

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執筆 / 撮影:イノウマサヒロ OGP制作:宮川時雨

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