芸術〜『裏切りのサーカス』を観て〜

芸術とは何なのかということを、最近よく考えている。別に僕自身が芸術に携わるわけでもないのに。

事の発端は、ジョン・ル・カレの1974年の小説を基にした『裏切りのサーカス』(原題:Tinker Tailor Soldier Spy)という映画である。内容については、「冷戦下の英国諜報部に潜入したモグラ(東側のスパイ)を探す話」と述べるだけに留めておく。

初めてこの映画を観た時、これが自分の欲していた映画なのだと思った。役者の演技、BGM、カメラワーク、アングル、カットとカットの間、どれをとっても素晴らしい上に、それら全てが組み合わさることで1つの芸術作品としての魅力、あるいは迫力を醸し出している。ストーリー自体は決して派手ではない(むしろ地味と言っても過言ではないだろう)のに、最後まで目を吸い寄せられてしまう作品だ。

この作品を素晴らしいと思った時に、僕は更に考えを掘り下げてみた。「(芸術的に)素晴らしい」と思わせる要因はなんだろう、と。単純に「面白い」作品なら数多くある。役者の演技やカメラワークなどが良い映画もたくさんあるし、特別に映画が好きというわけではないにせよ、そうした映画には出会ってきた。ところがそうした映画に対して、『裏切りのサーカス』で感じたのと同様の感覚を得たことはない。なぜだろう。

このように考えて、僕はふと、ヒトラーの絵を思い出した。アドルフ・ヒトラー。言わずと知れたユダヤ人虐殺の主導者として、恐らく誰もが歴史の授業で習ったことだろう。そんな彼も、若かりし頃は芸術家を目指していた(その夢が破れる原因となったのが、美大受験の失敗である)。

ヒトラーの作品(全てを見たことがあるわけではないが)は、絵心の欠片もない僕からするととても上手に描けており、羨ましいくらいに写実的である。しかし初めて見たときから、何か物足りない気がしていた。その何かとはなんだろうと長らく考え続けて、そしてある時に思い至った。彼の絵画には、世界がないのだ。確かに目の前の世界は忠実に再現されているが、芸術家としてのヒトラーの描きたい、見せたい世界というものがない、ある種抜け殻のような絵なのだ。もちろんこれは芸術に疎い人間の戯言に過ぎないが、そう思ったのである。

芸術とは何か。これは恐らく多くの答えがあり、そのどれもが決して間違いではないのかもしれない。僕にとっての芸術とは、表現者の見せたい世界を表出させること、そして表出された世界なのではないだろうか。

そう考えた時、なぜ『裏切りのサーカス』という作品が僕の心に響いたのかが腑に落ちた。この映画は、演者達やBGM、カメラワーク、演出等々が各々の役割を果たしながら一つの世界(恐らくは携わった人達がビジョンとして共有した世界)を作り出しているのだ。故に1つの芸術作品として完成されている。だからこそ深く心に残り、幾度も観返してしまう。

芸術は表現者による世界の表出。だからこそ彼らをcreater(創造者)と呼ぶのだろう。とすると問題は、僕に世界がないことなのだけれど…

ワニの命日に

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