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官僚とはどう付き合うべきか

〇安倍首相の辞意表明に伴う自民党総裁選挙が、2020年9月14日に行われ、菅義偉官房長官が圧勝。16日の臨時国会で、首相に指名されました。菅氏は安倍政治を「継承し、前に進める」と、総裁選挙で訴えてきましが、その安倍政治について15日の東京新聞が、1面で簡明、見事な総括を載せています。

〇「安倍政権は世論に耳を傾けず、違憲の疑いが強い安全保障政策などを推進。異論を唱える人たちを敵として扱った結果、社会に分断が生まれた。大企業優先の経済政策で格差も拡大した。権力は抑制的に使うべきだという為政者の鉄則を、大きく踏み外していた」(東京新聞政治部長、高山晶一)。

〇菅新首相にこんな政治を継承し、前に進めてもらってはたまりません。しかし7年以上仕えた人へのリップサービスもあるし、選挙戦の都合もあっての発言でしょう。安倍政治を含めての改革、改善を考えていると期待し、新内閣はその顔ぶれ、仕事ぶりを見てから評価することにしましょう。

〇しかし新首相として仕事をしてもらううえで、今の時点から気になる点があります。政策決定を巡り、反対した官僚に対して「方針に従ってもらえない場合は、異動してもらう」と公言していることです。13日のフジテレビ番組でもそう発言し、中央省庁の幹部人事を決める内閣人事局の運用も、変える必要は「ない」と明言しています。
官邸が官僚の人事権を握ることで、意向に逆らいづらい風潮を作り出したという指摘も出ています。

〇2020年9月12日の朝日新聞オピニオン欄で、菅新首相にふるさと納税制度を巡り異を唱えたところ、総務省の局長から飛ばされてしまった経験を、平嶋彰英立教大学特任教授が率直に語っています。「ふるさと納税は総務相を勤めた菅さんの肝いりで創設されました。その後2014年、官房長官の菅さんから、自治体に寄付する上限額の倍増などを指示されましたが、自治体から寄付者への返礼分が高額化し、競争が過熱する懸念があったので、総務省通知と法律で一定の歯止めをかける提案をしました」。
これに対し菅さんは通知だけでいいとし、その8か月後、平嶋さんは局長から自治大学校長に異動させられたのです。

〇平嶋さんは言います。「こうした『異例人事』は私だけではありません。だから今の霞が関は、すっかり委縮しています。官邸が進めようとする、政策の問題点を指摘すれば『官邸からにらまれる』『人事で飛ばされる』と、多くの役人は恐怖を感じている。どの省庁も、政策の問題点や課題を官邸にあげようとしなくなっています」。

〇平嶋さんは政策の決定について、こうも言っています。「最終的には政治家に従うべきだと思います。ですが制度設計の過程で、もし問題点や修正すべき点があると気付いたなら、進言すべきではないでしょうか」。

〇今の日本の官僚生活の実態を読んで、心の底から腹が立ちました。全国民で知恵を出し合い、力を合わせてコロナ問題に立ち向かうべき時、官僚の折角の進言を自分に対する抵抗、反逆ととらえ、排除するとは!

〇現役の官僚の人たちへの応援になるかどうかはわかりませんが、半世紀近く前の、私が見聞した官僚の仕事ぶりを紹介してみましょう。当時私は、環境庁担当のNHKの記者でしたが、最大の取材テーマの1つが、自動車排気ガス規制値決定の問題でした。健康に害のある排気ガス中の窒素化合物の、昭和51年(1976年)からの暫定規制値を決めるものです。

〇この暫定規制値は専門家の集まりである、中央公害審議会の自動車公害専門委員会が案を作って答申し、これを受けて環境庁長官(大臣)が決定します。ただしこの答申される規制値案を専門委員の意見を聞きながら実際にまとめるのは、事務局である環境庁の自動車公害課です 

〇自動車公害課の課長は運輸省出身で、仕事が終われば運輸省に帰る立場の人。もともと運輸省は自動車産業を応援する立場ですから、規制値を厳しくして国民の健康を守るのか、緩やかにして自動車産業の便宜をはかるのか、難しい立場に立たされます。事実、当時の課長の前任の課長が、板挟みに悩んで自殺するという、痛ましい事故が起きていました。

〇結局、決まった規制値はかなり厳しいもので、当時の課長は「どっちの味方だ」と、運輸省サイドから批判の声も出ていました。そこで私はその課長を夜回り(自宅に取材に押し掛けること)し、「矛盾した立場で悩んだりしませんでしたか」と尋ねました。これに対しその課長は「役人というものは、置かれた立場で仕事をする。今回はできるだけ厳しい規制値にして、国民の健康を守るのが私の役目だった。運輸省出身ということは関係ない」と、明快に述べました。「偉いもんだな」と感心した覚えがあります。

〇話はここからが大事。その後日本の自動車メーカーは、排気ガス規制に熱心に取り組んだおかげで、輸出産業として大成功、大先輩のアメリカにも大量に自動車を輸出するようになりました。

〇今や自動車業界も、燃料は排気ガスと関係ない電気、運転は自動と方向は様変わりしています。しかし、かつて日本製自動車が世界を席巻したきっかけが、この厳しい規制から始まったことは間違いありません。当時、日本の自動車業界は、トヨタ、日産が横綱、ホンダは幕下と言われていました。ホンダが今の大会社に成長したのも、排ガス規制をクリアする技術の開発に熱心に取り組んだことが、物を言っています。

〇こうした取材経験から、官民を問わず仕事では言論の自由を守り、率直に意見を言い合い知恵を出し合うのが何より大事と、私は考えています。

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