パンデミック後の社会 ザインとゾルレン
〇「パンデミック」(コロナウイルス感染の全世界的流行)後の世界はどのようなものになるのかをめぐって、議論が盛んになっています。パンデミックの終わりは見えませんが、終わりが見えないからこそ、これからの世界の有様が知りたくなるのでしょう。
〇そうした中で、2020年4月15日の朝日新聞に、この問題をめぐって、真逆ともいえる主張の学者の論考が掲載され、びっくりしました。ひとつは朝刊のオピニオン欄に掲載のイスラエル・ヘブライ大学教授で、歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリ教授のインタビュー。もうひとつは、夕刊のコラム「時事小言」の国際政治学者の藤原帰一さんの原稿です。
〇このうち藤原さんは、パンデミック後の世界は一言でいえばグローバリズムの後退だ、とした上で「金融緩和と財政支出によって好景気を支えるという危うい状況になっていた世界経済は、全面的な危機に追いやられることになる」としています。
〇そして、危機に対応するのは各国政府⇒社会経済における国家の復権⇒大国が国益のみを追及して競合する世界への転換⇒国際的緊張の拡大は避けることができない、という筋道を示し、警告しています。
〇単純明快、と言っては失礼かもしれませんが、クールで分かりやすい立論で、おっしゃる通りという気がします。しかしあまりに救いがない内容で、気持ちが暗くなります。
〇一方、ハラリ教授のインタビューは、明晰かつ人間への暖かい気持ちにあふれた内容で、これは是非、多くの人に読んでもらいたいと思いました。
〇ハラリ教授の主張の眼目は「現在の世界は医療だけでなく、政治の重大局面にある」という点にあります。政治の問題として、まず、国際的な連帯で危機を乗り切るという選択肢、すなわち、すべての国が情報や医療資源を共有し、互いを経済的に助け合う方法をとるか、それとも、他国と争い、情報共有を拒み、貴重な資源を奪い合う道のどちらを取るべきか。また、統治の問題として、すべての権力を独裁者に与えるか、民主的な制度を維持し、権力に対するチェックとバランスを重視する道を選ぶか──これらを真っ向から問いかけています。
〇ハラリ教授は、「独裁と民主主義のうち、長い目で見ると民主主義の方が危機にうまく対応できる」と言い切っています。「情報を得て自発的に行動できる人間は、警察の取り締まりを受けて動く無知な人間に比べて危機にうまく対処できる」からだ、としているのです。
〇独裁の場合は、誰にも相談せずに決断し、早く行動することができるとしながら、間違った判断をした場合はメディアを使って問題を隠し、誤った政策に固執するものだ、と断じています。
それに対して、民主主義体制では政府が誤りを認めるのがより容易になる。報道の自由と市民の圧力があるからだ、としています。
〇ハラリ教授が二元論で解説して見せた、政治の在り方、それを動かす統治体制は、日本の場合、どう評価すべきでしょうか。日本は、民主主義国と数えられていますが、パンデミック下の政治の実態を見ると、現状が国際的連帯を求めて政治を展開しているとは到底言えないでしょう。
〇また、独裁体制とは言えませんが、政府の情報開示が不十分なところを見ると、民主主義国だ、と胸を張れるとは思えません。ひと口でいうと、政治の実態と統治体制の有様は極めて中途半端、パンデミックのもとで、独裁的、強権的な方向へ動いていってしまうのでは、と心配する人も多いのです。その意味で、ハラリ教授の主張は、時宜を得た建設的意見と言えましょう。
〇「危機の中で、社会は非常に速いスピードで変わる可能性がある。よい兆候もあるが、悪い変化も起きる」とハラリ教授は言います。「我々にとって最大の敵はウイルスではない。敵は心の中にある悪魔。憎しみ、強欲さ、無知……」「我々はそれを防ぐことができる。この危機のさなか、憎しみより連帯を示すのです。それができれば、危機を乗り越えられるだけでなく、その後の世界をより良いものにすることができるでしょう。我々はいま、その分岐点の手前に立っているのです」
〇藤原さんとハラリ教授、二人が世界の現状を厳しく見つめ、正しく解析しようとしているのは間違いないと思います。しかし結論は真逆のように見えます。
〇2020年4月19日の朝日新聞の朝刊の、沢村アメリカ総局長による「日曜に想う」に1つのヒントがありました。この記事によると、100年前、スペイン風邪で米国では70万人が犠牲になりました。そのさ中、海軍造船所があったフィラデルフィアで、ボストンから入港した約300人の乗組員から感染が拡大。だが市の公衆衛生局長が感染拡大の事実を伏せ、結果、海軍のパレードが計画通り行われ、20万人が沿道を埋め、大感染となり、翌春までに1万5千人が亡くなったとのことです。
この話は、現状を正確に把握しないと、効果的な対策は打てないことを示しています。
〇藤原さんの主張とハラリ教授の主張は、ドイツ語のザイン(あるがまま)とゾルレン(なすべきこと)の関係です。ザインとゾルレンは、相対立するものではなく、ザインに基づいてゾルレンがある、すなわち、相補うものなのです。
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