見出し画像

昭和の記者のしごと②警察(さつ)回り 

第1部第1章 警察(さつ)回りー昭和の取材先では、ご飯が出た!

「あすなろ物語」で取った特ダネ 


かって新潟市の中心部の信濃川沿いにあった、新潟県最大規模の新潟中央警察署。新人記者時代の1966年春、その3階の記者クラブから警察の中庭を眺めていると、タクシーが着いて私服の警察官が3,4人、書類を抱えて降りてきました。いずれも汚職事件や知能犯事件を扱う捜査2課の捜査員です。私は、普段つましい警察が犯人の護送でもないのにタクシーを使うのはおかしい、と思いました。
その時、愛読している井上靖の小説「あすなろ物語」の一節がひらめいたのです。新会派結成に動く日本画家の行方を追う取材です。主人公の新聞記者・鮎太のライバル紙の記者が、日本画家宅出入りのタクシーを呼んで、「先生が今朝行った先に行って」と言って、画家の行方を突き止め、独占インタビュー。鮎太はこっぴどく抜かれる(特ダネを取られる)話。
 記者室から裏庭にかけおりた私はそのタクシーをつかまえ、「今来たところへもう一度行って」。案の定、着いた先は3千万円横領事件の被害企業で、この企業の告訴で警察は元社員を取調べ中でした。ここでの取材結果をその夜、警察の捜査2課長にぶつけ、朝のローカルTVで特ダネとして放送することができました。
 真夜中、捜査2課長が素直に元社員逮捕を確認してくれたのは、「あすなろ物語」を応用してタクシーに乗った、私のとっさの判断に感心したためです。
 「うちにもそんな刑事(でか)さんがほしいね」
しかしこの話には実は当時、警察関係者には話せなかった裏があります。その朝警察に顔を出すと、私がかねて親しくしていた、捜査に直接関係のない部署の課長が「捜査2課が何かやっているぞ」とささやいてくれたのです。このため、タクシーを見てすぐ勘が働いたわけです。                               
 

取材先で、ご飯が出るか


この課長はどういうわけか私とうまが合いました。もともと公安畑の人でしたが、当時は勤務管理と車両管理をしていたので、各課が大きな仕事に取り組むときは泊り勤務の変更や車両の特別使用を頼みに来ます。するとこの課長が各課の捜査の動きを“捜査”して私に教えてくれる、というわけです。
警察回りの私は朝は放送局に出勤せず、直接担当の新潟中央警察署に顔を出します。そしてまずこの課長のところへ行って、「若い記者がこんな時間の出勤じゃ、ダメじゃないの」と大声で注意を受けたりします。しかしその大声の合間に小声で「捜査2課が・・」と言ってくれるのです。そして夜は夜で官舎に毎晩のようにお邪魔して酒、ご飯をご馳走になり、奥さんが眠くなると、台所に場所を移してやかん酒が続きます。
 この人との付き合いで、つらかったことが一つあります。いい加減飲んで、もう12時になるので帰ります、と言いますと、必ず、あしたの朝食のあてはあるか、と聞くのです。ありません、と答えると、それはいけない、7時半に来なさい、と言われます。せっかくの好意ですから、無駄にしてはいけないと、朝7時に下宿にタクシーを呼んでおくのですが、これが眠くて起きられない。今でも新潟でタクシーに乗ると、放送局と契約していたタクシー会社の老運転手とぶつかることがあり、そんなときに必ず言われます。
「あなたは朝迎えに行くと、返事をしといてまた眠ってしまうので往生した」。
 
この課長は度胸のある人で、真夜中、汚職事件などを追って逮捕されたかどうかつかめずに官舎に相談に行くと、制服に着替えて警察に行き、留置場を一回りして来て、「君の言う男はまだ入っていないぞ」と言ってくれたりしました。この人は終戦時、陸軍少尉だったそうで、当時警察には軍隊の将校、下士官上がりの人が多く、死線をくぐって来たせいか、ほとんどが組織の言いなりではなく、自分の考えで行動するタイプ。結果的に警察組織を強いものにしていたように思います。
当時、この課長宅だけでなく、警察官の夜回り先でよく食事を出してくれました。警察官の奥さんが、独り者だから食べ損なうこともあるんじゃないか、と心配し、家族のご飯を分けてくれたのです。空腹なのは事実ですから、パクパク食べると、それをまた奥さんが喜んでくれ、それにつれて亭主の警察官の口もほぐれる、というわけです。
その後、ローカルのニュースデスクをしている時代、この話をすると、警察まわりの若い記者が、「ご飯はまず出ませんよ」と言う。びっくりして聞いてみると、どこでも何でも食べられる時代になって、警察官の奥さんの方で、うっかりしたものを出すと記者に迷惑だ、と遠慮しているらしいのです。夜回りや警察官との付き合いのありようも時代とともに大きく変わっていったわけです。
 

「汚職って、どっちの汚職だ」―もちろん、新しい方!


取材においてとっさの判断というのは重要で、取材力を高めるとはそのとっさの判断力を磨くこと、とも言えますが、そのバックにはそれを支えるものとして必ず人間関係があります。もうひとつの例。
 あすなろ取材から2年後、私は4年生で依然警察を担当していました。その日は、コンビを組んでいる先輩記者が休暇を取って私一人なのに、電車の停留所で電車賃を入れた現金袋が盗まれるなど発生モノが相次ぎ、滅法忙しかったのです。ヤマ場を迎えていた阿賀野川の農業用水工事をめぐる汚職事件の進展を警戒することも出来ません。午後4時、えいままよ、と知り合いの旅館に飛び込み、県警本部長に電話をかけました。
―汚職はどうですか。
県警本部長「汚職って、どっちの汚職だ」
むむ、別の汚職の捜査に手を着けたのか!とっさに答えましたね。
―もちろん、新しい方です。
県警本部長「いやー、汚職っていうのは絶えないね。今度のはねー」
 
  

「留置所に、灯が付いたわよ」 容疑者逮捕、なんでしょうか!


事件は新潟県北部の町役場の汚職事件で、最終的には町長、助役、収入役の町の3役全員が逮捕されることになった、その地方にとっては大事件でした。新潟から長躯タクシーを飛ばし、捜査しているM警察署の敷地内にある捜査課長の官舎を夜回り。もちろん課長は帰っていません。かねて顔見知りだった課長の奥さんがビールを出してくれ、玄関の板敷の廊下に腰かけて長話。
と、奥さんが、
「警察の留置場に電灯がついたわよ」
容疑者逮捕、という意味なんでしょうか!
「待ちなさい、署に電話して、客が来ていると言って、亭主の帰宅予定を聞いてあげる」
そして、亭主の捜査課長は、夜間にかかわらず、町役場を家宅捜索中だ、と聞き出してくれました。この夫婦、捜査するのは夫だけではありません。夜間の家宅捜索は異例のことです。昼間、私がM警察の署長に電話して、「やっていますね」とジャブを入れたため、いつも私の放送局だけに抜かせる(特ダネを取らせる)わけにはいかない、と署長が家宅捜索の前倒しを命じ、私の裏をかこうとしたらしいのです。しかし肝心の捜査課長の身内から情報が漏れているわけで、このへんが捜査現場に密着して取材する面白さです。
急いでデスクに連絡、県北の中心都市・新発田市の通信部の記者が16ミリカメラを持って応援に来てくれ、朝のローカルTVの特ダネニュースとなりました。定年も近い老先輩記者が、ガサ(家宅捜索)が進行中の町役場の中に入ると、あわてず騒がず、まず、大きな柱時計の「午前4時」の文字盤を上から下までゆっくりパンすることから撮影を始めたのを覚えています。
 

とっさの判断力支える人間関係


この時の帰りのタクシーで聞いた朝の6時のラジオのニュースで、「真夜中の暗闇の中で町役場だけが灯がついて明るく、真っ赤に燃えるようだ。その中で異例の家宅捜索が続いている・・・」とやっています。こういう情景描写を「雑感」と言いますが、私はまったく雑感を送っていないのに、まさに私が見たとおりの情景です。ラジオ時代に育った、デスクの筆力に恐れ入った記憶があります。
 質問しているのは新しい方の汚職事件についてだ、という私のとっさの名答(?)から始まった取材ですが、この場合も日常的に本部長と相当な付き合いがあったためとっさの名答が生きた、とも言えます。この本部長は子供が居ないせいか当時独身の私を可愛がってくれ、日曜日、ベテランの芸者さんと3人で当時はやりだしていたボーリングをし、そのあと本部長官舎で風呂に入った後、昼飯をご馳走になりながら、今週の主な事件の逮捕予定!を聞いたりしていました。
この時の電話での応答も、むしろ本部長の方では付き合いのある私に教える気で、最初からヒントを出していたのかもしれません。とっさの判断力は重要ですが、自分には人並み以上にとっさの判断力がある、と思い込んではいけません。
2015年の暮、新潟県警を同時期に取材した毎日新聞の牧太郎記者(社会部、政治部で活躍、サンデー毎日編集長も)と46年ぶりに飲みました。翌日の牧記者のブログ・「牧太郎の二代目・日本魁新聞社」で、「新潟県警が1年で6件も摘発した、いずれも全国ニュース級の汚職事件を中尾記者が全部スクープ。地元紙の新潟日報と同着のものもあったが、中尾記者は全勝、当方は全敗」と書いてくれました。
さらに「県警本部長と毎週、ボーリングをしていたのが中尾記者のスクープの秘密だそうだ。知らなかった!」とある。だいぶオーバー、誉めすぎ。それに当時、新潟県の東京紙は、東京で印刷してトラックで運んでくる関係で、締め切りが午後5時ごろ。夜中の取り調べで事件の決着がつく警察の捜査2課‹知能犯›取材では、大きなハンデを負っており、記者の腕の問題だけで勝負がつくわけでははない、という事情を説明しないと公平ではありません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?