そっとしておいてほしいんだな、多分

 付き合い始めた頃に楽しい時や嬉しい時だけじゃなく、悲しい時や辛い時こそ側にいて寄り添える関係でいたいと君にいった。その考え方はずっと続くだろう。
 今君は自己嫌悪に陥って自分にうんざりしている時かもしれない。僕はそんな時に何て声をかけたらいいのだろうか。

「何も知らないくせに」
 君にそういわれ僕は何にも知らないと自覚する。僕は二人で会っている時の君、電話で話している時の君、夜机に灯りを点けて勉強する君を知っている。勉強も仕事も頑張ってるんだ。でも確かに学校で学生生活を送る君を知らない。君にとって学校がどれだけ苦痛で耐え難いものか僕は知らない。
 そしてまた、僕はできた人間じゃないから君にえらそうなことをいえない。僕は勉強が嫌いだった。幼少期から既に集中力がないことは分かっていた。机にじっとしていることが苦手で、勉強や宿題をやっている時間は地獄でしかなかった。5分としてじっとすることができなかった。それでも宿題を終わらせないと遊びに出してもらえなかったから嫌々宿題をやった。

 勉強机に座っていた時、僕は開いた教科書をピントの合わない眼でぼんやり見るけどすぐに興味が違うところに向くんだった。それは机の右側にある四段の引き出しの一番上の鍵のかかった引き出しだった。そこを開けたら僕の宝物が入っていた。それを取り出して手に取ったり眺めたりするのが楽しかった。恥ずかしいことにあれだけ大切にしていた宝物が何であったか僕はもう思い出せない。それは多分お土産で買ってもらったキーホルダーやお祭りで取ったスーパーボール、或いはねりけしだったかもしれない。
 しかし中学生の時に“幼稚”なものは全て捨ててしまった。そして中学生の時に大切にしていたものは高校生になったら捨ててしまった。だから実家に帰っても昔大切だった僕の宝物はもうない。どうしてあれだけ大切にしていたものがいつかを境に大切でなくなってしまうのか。僕はそれがとても悲しい。
 大人になったら大抵のものはお金で買える。でもあの時僕が宝物として大切にしていたものはもう一生手に入らないのだ。そしてそれらはどんなに高価で贅沢なものよりも輝いている。

 だいぶ話が脱線してしまった。
 僕は典型的なサラニーマンである父さんを見て育ったから、将来は会社員と公務員にだけは絶対にならないと心に誓ったのだと思っていた。でもそうじゃないかもしれない。ただ単純に机に向かうことが嫌いで勉強が嫌いだっただけかもしれない。そんな僕だから、勉強のことで君にとやかくいうことはできないし、学校での君を知らない。僕は学校や勉強、進路で悩む君とどう接することができるのか考えて考えて考えてもよく分からないんだ。何をいっても僕の言葉はダメなんだろう。

 それでも頑張りたいのに頑張れない。頭では分かっているのに行動できない。その歯痒さ、苦しみは分かるんだよ。僕も全く同じだったから。だからそんな時に僕の両親が僕に何ていったか思い出そうとしている。まあ父さんは勉強や成績について全く何もいわなかったんだけど。そうだな母さんは「あんたなりに頑張ったらいいやん」といったかもしれない。しかし君はそれではダメなんだね。学校は他の生徒と比べるところで、成績がよくないと志望の進路も叶わないから。でも頑張りたいのに頑張れない君に「頑張れ」は明らかに逆効果だし「応援してる」はプレッシャーを与えるのは分かっている。だからといって「十分頑張ってる」も「頑張りすぎるな」も違う。僕は何をいおうとしても今の君を傷つけてしまう。
 それなら僕は君が「宿題手伝って」といった時に僕に分かる範囲で一緒に考えたりアイデアを出し勉強を共有する今まで通りのことしかやっぱりできないの
だろうか。でも僕に分かることなんてこれっぽっちしかない。

 最近君は僕からのラインでウサギと犬とカエルのトリオをよく見るだろう。それに狐やハムスターもいる。それは僕だけじゃ不十分だけど僕の他にもこっそり君を応援してエールを送っている仲間たちがいるんだよってことを君に知ってもらいたいんだ。にゃんこ先生もひふみんも君の味方でいつも君を見守っている。…こんな幼稚なことしかできない。

でも最初にいったろう、今実際に君が辛く項垂れている時に僕は君の力になりたい。

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