エジプト旅行①
10代の頃はよく一人旅をしていたけど、気がつけば全く一人で遠出をするということがない人生になっていた。いつからか旅行の醍醐味は大切な人と思い出を共有して、数年後や数十年後にあの時あんなことがあったとかこんなものを食べたとか、旅を振り返って笑いあったり思い出話に花を咲かせ二人の軌跡を確認し合ってより絆を深める、そんなもののように感じていた。だからどうしても一人だと物足りないというか、行く意味がないように思っていた。
頻繁に1人旅をしてSNSに楽しそうなリア充写真をあげている地元の幼馴染で同級生の独身を謳歌しているやつがいる。彼が3月にイタリアとフランスを回った後にドイツに遊びに来た。家でAugstinerを飲みながら話していた。
僕「何航空で来たん?」
友人「エミレーツ」
僕「もちろんファーストクラスやんな?」冗談半分で聞いた
友人「行きは違うけど、帰りは」
僕「マジで?」
友人「エミレーツのファーストクラスっていいっていうやん。実際どういう空間でどういう人が乗ってどういうサービスを受けられるんか経験しとこうと思って。自己投資や」
そう彼はいった。こいつは同じ独身の同年齢なのに、圧倒的に人生を自ら楽しみに行っている。国内も海外も1人でいろんなところに行き、経験値を上げるためなら金と苦労を惜しまない。拙い英語と持ち前の明るさとポジティブで人生を楽しんでいるのだ。
素直に「ああ、すごいな」と尊敬した。
僕は彼に感化され、1人旅行に出掛けることにした。それが2024/5/19〜26までの1週間のエジプト旅行だった。シェンゲン協定外に1人で旅行するのは本当に何年振りだろうというくらい久しぶりだ。
旅行は
2日間ギザ
2日間エル・アラメイン
2日間アレクサンドリア
最後の1日カイロ
を回った。一人旅は案外おもしろく、中学生の時から一度訪れてみたかったエル・アラメインにも行くことができた。
ギザで宿泊したホテルは部屋からピラミッドが見える。さらに屋上でピラミッドを見ながら朝食と夕食も食べることができる。普段の朝食などスマホでニュースを見ながら10分程度でたいらげるヨーグルトとシリアルだが、スマホも見ないでのんびりピラミッドを眺めながら食べる朝食は気がつけば1時間経っていた。
ああいいな〜、何か久しぶりにゆっくり朝食を食べている気がする。そう思った。足元には4匹の猫がいた。イスラームの世界で猫は大切に可愛がられているのだ。
経験っていうのは本やネットに書いてある情報だけでは不十分で、実際に自分で体験して肌で感じて初めて分かることをいう。旅行っていうのは非日常に触れることで経験値を上げるのだろう。
値段が高いだけで何もないからピラミッドの中は入らない方がいいよとガイドがいった。でも僕はせっかく来たんだし今を除けばもう入ることはないだろうと思いクフ王のピラミッドに入った。
狭いとは聞いていたが、本当に中腰で頭に気をつけながら進まないといけない。またピラミッドの中は1年を通して温度が一定で快適などいうが、換気システムが無いので中は観光客の熱気と体臭で、意識を失いそうになるくらい空気が悪い。唯一棺があった最後の部屋だけ空気清浄機が何台か付いている。まだ5月末で現地の人曰くギリギリ春ということだったが、僕は今回のエジプト旅行で一番汗をかいたのは、ピラミッドの中だった。
もちろんせっかく来たのでラクダ🐪にも乗った。ラクダは立ち上がる時と座る時ものすごい勢いでこちらを振り落としにかかるので、しっかり両手で棒を握っておかなければならない。
因みにここにいるラクダは全て雄だけだという。ラクダは発情しやすくここに1匹でも雌がいると興奮して大人しくしていられないらしい。ワンピースのアラバスタ編でまつげというラクダが登場したが、ラクダの特徴をしっかり捉えていたんだなあと今更になって思った。
砂漠の鼠が砂漠の狐を追い詰めた。北アフリカ戦線でドイツとイタリアの同盟国軍が決定的な敗北を喫するエル・アラメインの戦いがあったエル・アラメインに死ぬまでに一度行ってみたいと思っていた。僕は第7装甲師団の時からエルヴィン・ロンメル将軍が好きで、ヘルリンゲンの彼のお墓に花を供えに行ったこともある。
エジプトに着く前に、ギザ・カイロ地区からエル・アラメインに行く行き方を調べていた。ネットで自分でも調べたし、4travelでエジプト旅行の経験が豊富で現地の事情に詳しい方へも質問をした。しかしエル・アラメインまでの交通手段はバスが出てるっぽい。電車があるっぽい。と確信を得られる情報はなく、現地で情報を集めることにした。
結局のところ、ギザ・カイロ地区からエル・アラメインへは、電車はなく、高速バスもない。ミニバスといわれるハイエース〜マイクロバス規模のバスのみが走っていることが分かった。これはGo busというバス会社の関連企業?のGo miniという会社が運営しているようだが、ぼったくりだとか、中でスリに合うだとか、あまりにもGooglemapでの評価が低く怪しかったので、諦めてUberで行くことにした。この時代はUberがあるから本当に助かる。
Uberは迎えに来てくれた時に、ドライバー側からキャンセルをして現金のみだがいいかと聞かれた。また何か怪しいいなあと思ったけど、Uber内での評価が高いドライバーだったし他に選択肢な無いので了承した。途中サービスエリアでドライバーがコーヒーを奢ってくれてタバコを一本くれた。砂漠の真ん中で甘いトルココーヒーをタバコをくわえながら飲むという何にも代え難い経験をした。丁度カイロとエル・アラメインの真ん中あたりのことだった。
車はその後も順調に走りエル・アラメインのホテルに着いた。Uberの料金は255km (高速を使用して約2時間50分)料金は€43だったが、僕はかなり感謝していたのでチップを入れて€50支払った。
ホテルの駐車場でドライバーにいった。
僕「このままあと少しエル・アラメインの観光に付き合ってくれたらさらに€50支払うけど、お願いできるだろうか?」
ドライバー「もちろん」
僕「ではチェックインして荷物を置いたら戻ってくるから、ちょっとだけ待っといて」
そうしてホテルにチェックインした。少し値段の高いホテルだった(といってもドイツの相場で考えると普通くらい)ので、サービスは完璧だった。正直僕が今まで泊まったどのホテルよりも完璧だった。
入口のセキュリティースタッフ、エントランスのスタッフ、受付カウンターのスタッフ。ホテルに入って受付までの徒歩20歩くらいの間に感動することってあんだ!ああそうだ、ここはドイツ(世界最低のサービスといわれる国)じゃないんだった。
ホテルに荷物を置き、Uberに戻った。
僕「今日はドイツ軍慰霊碑とイタリア軍慰霊碑とイギリス軍墓地に行きたいんだけど。でもその前に海が見たいんだ。海に連れて行ってくれるかな」
ドライバー「海か、任せろ」
そういうと車は走り出した。
僕が想像していたエル・アラメインはこうだった。
どこまでも果てしなく砂漠が広がり、身を隠すことができるのは小さな茂みのみ。そんな砂漠にあるとある街。それが僕の中のエル・アラメインだった。しかし実際は北アフリカ戦線の面影など皆目一つない。国道を挟んで海側は外国資本の開発が進み次々にリゾート化している。海側のこれら地域一体をニュー・アラメインという。
これが今のエル・アラメインだ。
ロマンもヘッタクレもないなと思った。僕が中学生の時から憧れた、砂漠の戦いがあった場所。エルヴィン・ロンメル率いるドイツアフリカ軍団か奮闘し、そして散った場所。「汗を流せ、血を流すな」
…僕の思い描いていたのと違う。
まあ仕方ない。因みに道を挟んで南側のダウンタウンの方は、もっとローカルでエジプトらしさが残っていた。そんな中でどうにか海に出れそうなところをmap上に見つけて連れて行ってもらった。
僕は北アフリカから地中海を望み、この向こうにヨーロッパがあるのかと感じてみたかったのだ。海は嘘みたいなセルリアンブルーで、ビーチの砂は白かった。
ああ、海ってこんなに青いんだ。
きっとこの海の青さは、82年前と変わらないんだろうなと思った。
僕はしばらく1人で海を眺めた。
その後ドライバーとシーフードレストランでシーフード料理を食べた後、リクエストした目的地を回ってもらいホテルに戻った。ドライバーに約束の€50を渡し、感謝の言葉を伝えた。
翌日は徒歩でエル・アラメインのダウンタウンの散策と、軍事博物館に行く予定にしていた。map上に駅があるのを確認していたから、もしかしたらエル・アラメイン–アレクサンドリア間は鉄道が走っているかもしれないと思ってそれを確認したかったのだ。
ホテル朝食のバイキングでオムレツを作ってくれる料理人がいい人で、僕は2朝連続オムレツを頼んだ。因みにアメリカに行った時に気がついたけど、オムレツにケチャップをかける文化というのは案外少ないのかもしれない。海外のオムレツでケチャップをかけている人をみたことがない。ケチャップかけてといったら不思議がられる。
ホテルを出る際、セキュリティースタッフ(ハマタ)に1人で行くのか?と尋ねられた。エジプトでは歩道が整備されていなく危険で暑いので、どんなに短い距離でもタクシーや軽自動車タクシー、オート三輪やバイクなど、何かしらの乗り物で移動することが当たり前なのだ。でも僕はエル・アラメインという街をしっかりこの足で歩いてみたかった。
そうするとハマタが、もし何かあったら連絡しろといい個人のWhat'app の連絡先をくれた。すぐに登録して実際にやり取りができるか確認してからホテルを後にした。
いうのを忘れていたけど、エジプトの空気は非常に悪い。おそらく排ガス規制などないのだろう。僕がドイツで乗っている古い旧車のような車から、僕が小学校の時に父親が運転していた四角い軽自動車のようなやつまで普通に走っている。ハンカチで口を覆っておかないと排気ガスでめまいがする。
大通り沿いでもダウンタウンでも、車はプープープープークラクションがうるさい。これは「乗ってくか?!」という合図で、乗合バスやミニタクシーが鳴らしているのだ。そしてオート三輪は直に話しかけてきて「乗っていくか?!」といってくるので、街を歩くだけでも何人にも声をかけられる。
ネットには電車のダイヤなど出ていないし、駅に到着しても運行スケジュールなど載っていない。いつ来るか誰にも分からないからだ。なので割と新しめなエル・アラメイン駅のホーム上には、電車を待つくらびれた人たちが日陰で寝転んでいる。有人の駅で、駅員にアレクサンドリア行きの電車の時間を聞いたところ、案外本数は出ているように思えた。
しかし実際に定刻で来るところを確認した訳ではなく、駅員の証言だけなので本当に来るのか信憑性が薄いなあと思い、エル・アラメインーアレクサンドリア間の移動はホテルでドライバーを手配してもらい、車移動にすることに決めた(エル・アラメインにはUber車が走っていない)。
その後歩いて軍事博物館に行った。途中水がなくなりキオスクで水を買ったら¥32で良心的な値段でおおええやんと思って喜んでいたけど、その後軍事博物館の中のカフェでトルココーヒーを飲みながらふとカフェの料金表を見たら全く同じ500mlのペットボトル水が¥23と書いてあってクソッと思った。
¥9の差なんて微々たるものだ。実際ピラミッドの前で観光客向けの水を買ったら¥150する。それに比べればどちらも安い。でもようやくここら辺からエジプトの価格相場、現地の金銭感覚のようなものがわかり始めてきていたのだ。
博物館の屋内展示と屋外兵器の展示を見終えてもう一度カフェに戻りトルココーヒーを飲んだ。僕はエジプトでは着席すればトルココーヒーを飲むようになっていた。それくらいエジプトの気候とトルココーヒーがマッチするのだ。
エル・アラメイン軍事博物館は思っていたよりも規模が小さく、展示品の数も多くはなかった。そして展示品の紹介文に少なからず間違いがあり、マネキンの着ている軍装品の装備も正しくない部分を発見した。そういう点では少し残念ではあったが、それでも僕はとても嬉しかった。なぜなら実際にエル・アラメインの戦いのあったエル・アラメインで、当時の出来事を記録した軍事博物館を訪れることができたのだから。
感無量としかいいようがない。
この旅はアレクサンドリアへと続く。
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