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#194【雑感】多様性は本質的に自分の足元を脅かす。だがそれでもなおわたしたちは多様性を希求する

今日もお読みくださってありがとうございます!

先日、大学で教鞭を取る友人(人文学)に会ったところ、こんな話を聞かせてくれました。

同僚の教員はみなとても変わった人たちばかりだ。
けれど、人文学を研究しているだけあって、意見が割れた時に”徹底的に叩きのめす”ということはまったくない。
特に申し合わせがあるわけではない。
でも、極端なことにならないように、みんなが傷つきすぎない落とし所をつけるように、みなが意識しているのを感じる。
だから安心して議論できる。

なにそれなんとうらやましい職場!
くらたの職場なんて毎日ナマズが「サザエを辞めさせてやる!」って叫んでいたよ。

その友達に遊んでもらった一日で強く感じたことは、

多様性は本質的に自分の足元を脅かす。
だがそれでもなおわたしたちは多様性を希求する。

ということです。
「わたしたち」って勝手に友達もいれちゃった。でもたぶん間違っていない。

SDGsなどで「多様性」が広く叫ばれるのはとてもよいことです。
ですが、この「多様性」とは、自分とまったく異なる考え、行動、身体などを持つ人と共生していくということです。これは、自分と似たような考え、行動、身体を持つ人々と暮らしていくよりも多くの調整を必要とします。
よく知られた話ですが、視覚障害のある方は、点字ブロックや段差を白杖で察知して道を歩かれます。一方、少しでも段差があるとその先に進めなくなることもあるのが車椅子です。一口に障害者福祉、ユニバーサルデザインと言っても、個別具体的に配慮・調整すべきことはたくさんあるのです。

係に居眠りサザエさん、居眠りを許せないナマズさん(しかも「ハゲはいいけどデブはダメ!」とか大声で言っちゃうような人)、こういう人たちが一部屋で仕事をするのはハッキリ言ってかなり大変です。
正直共生なんかくらたの力量では無理でした。

でも、それでもなお、「多様性」を希求する。
それは、あなたの心身がより自由であるためであり、同時に、わたしの心身がより自由であるためでもある。

そんなふうに考えた再会でありました。

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