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短編小説集 『新しい風景』

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ショート・ショートを作品を収録しています。
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#物語

ようこそ「寺子屋 『創』 」へ

1    ぼくが「寺子屋 『創』(そう)」へやってきたのは、5年生のはじめだった。  4年生の途中から、ぼくは学校に行かなくなってしまった。理由は自分でもよく分からない。友達とトラブルがあったわけでも、勉強についていけなくなったわけでもない。ただなんだろう、言い知れぬ息苦しさが日々だんだん強くなって、とうとう学校にいけなくなってしまったのだ。  実際ここ数年、ぼくのような子供は爆発的に増えていた。  いよいよ事態を重くみた大人たちは、今までの教育方針とは全く違った新しい

いぬ

 11月6日、夕方から急に雨が降ったその日、街にはおりたたみ傘のケース13個と、スマホが37台落とされた。スマホのうち20台は警察に届けられたが、おりたたみ傘のケースは一つも届けられなかった。  私はその日、照明が少し暗めのバーのカウンターに座り、一人飲んでいた。暗い店内では、誰もがしっとり静かに酒を飲む。人は無意識に空間に同調するものなのだ。  私はそこで「トルストイ」とか「ドストエフスキー」とかの、長いロシアの小説を読むのが好きだった。私にとって何処でどの小説を読むか

新機種

「長い間座っています」 「長い間水を飲んでいません」 「長い間トイレに行っていません」 「長い間喋っていません」 「長い間笑っていません」 「長い間爪を切っていません」 「長い間髪を切っていません」 「今、あなたは愛想笑いをしました」 「今、あなたは後ろ向きの発言をしました」 「今のあなたのギャグは100点満点中 5点です」 「話の根拠が曖昧です」 「話が論理的ではありません」 「話が綺麗事です」 「話がループしています」 「言葉の使い方が間違っています」 「生返事です」

パンダ人形をつくる人たち

 ある種の人々はずっとパンダをつくっていた。より可愛いパンダをつくりたい。彼らの目的はそれだけだった。  しかし、『パンダがいるところに人が集まる』。その現象に注目した人々がいた。そして、それは彼らにとってとても重要なことだったので、次第にパンダづくりを手段とする人々が増えていった。つまり、人を集めるためにパンダをつくり始めたのだ。  いつしか街には、パンダづくりを教えるスクールができた。 スクールには、そもそもパンダづくりにまったく興味がなかった人間までもが大量に押し寄

私を睨んでいるのは

 目の前で私を睨んでいる男は、明らかに私だ!  どういうことだ?   私はひどく困惑している。私は今、どうやらリングの上にいるようで、頭にはヘッドギア、手にはグローブをはめている。そして目の前の男、すなわち私も私と同様ヘッドギアをつけ、グローブをはめている。  ウォーーーーーーーーー!!!!  うなるような歓声。周りを見回してはっと息を呑んだ。  リングを囲んで声援をおくる。私、私、私。リングの周りには大勢の私がひしめいている。下は幼児から上はおじいちゃんまで。様々

ねじれたリコーダー

 間違っている。そう思って、私はまた線を消す。間違った線に、私は冷静でいられない。私は新しい線を描く。その線もやはり間違っている。すぐにそういう結論に至って、私は苛立ちと共にその線を消した。果たして、本当に正しい線は存在するのだろうか? 私は首をかしげる。  正しい線。少なくても、今まで私はそれが存在すると思って描いてきた。 いや、それが無いなんて、疑ったことはなかった。ただ、いまの私には正直それが本当に存在するのか、わからなかった。  私はひどく混乱していた。  あの