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おのぼりさん受験生、4chに死す🥺

 それは50年近くも昔の事。
 ひとりの若者が、ボストンバッグひとつ肩に担いで2月某日の夕暮れどき、御茶ノ水駅のホームに降り立った。
 「御茶ノ水橋口」という改札を出ると、若者は目の前の交通量の多い通りを右から左へと見渡して、「ハアっ」とひとつ深呼吸した。初めて吸う大都会東京の街の空気だった。
 スマホの地図もない時代のことで、それが「明大通り」という名前であることなど、知る由もなかった。
 若者は、旅行会社から持たされてきた地図にチラッと目をやると、迷うことなく駅前のスクランブル交差点を左斜め前方に渡ると、向かい側の歩道を左へ歩き出した。
 2~300メートル進むと右の細い路地に入った。若者の目指す今日の宿はそこに立っていた。古い宿だったが、「ニュー駿河台ホテル」という名前のホテルだった。
 生まれて初めてチェックインという手続きを終えると、若者は3階の部屋に案内された。
 ホテルではあったが、そこは旅館の大広間といった造りの和室だった。
 部屋の中には似たような年恰好の若者たちが、既に6~7人、話をするでもなく、所在なさげに座ったり、仰向けに寝転んで天井を見たりしていた。
 間もなく、ホテルの女将らしき女性がやって来て、若者たちに声をかけた。どうやら夕食の用意ができたらしい。
 部屋の若者たちは、女将に促されるままダラダラと階段を降りて行った。
 食堂のテーブルには、修学旅行の旅館のようなおかずが並んでいた。皆、上京のための長い汽車旅で腹が減っていたと見え、無言のままガツガツと平らげると、三々五々、大広間へと引き揚げて行った。
 例の若者は2回ご飯をお代わりしたので、食堂を出たのは一番後だった。
 若者が大広間に戻ってみると、皆、空腹が満たされたせいか、幾分、部屋の空気が和み、「キミ、どこから来たの?」というような話が始まっていた。
 遅れて部屋に戻った若者はやや気おくれしたような思いでいたが、痩せて目をキョロキョロさせたお喋りな男が、若者に声をかけた。
「オイは福岡から来たばってん、どっから来たと?」
若者にとっては、初めて耳にするネイティブの九州弁だった。
「えっ?、い、岩手だよ。」若者は少しどもってしまった。「岩手」と答えるのには、少し勇気も要った。
「あっ、そうなんだ。」キョロ目には、岩手に対して何の興味も知識もないらしく、それ以上会話は続かなかった。
 そのうちに、受験先がどの大学か、とい話題に移った。
 若者は、この部屋に最初に通された時から薄々気付いてはいたが、実はこのホテルは、というか、このホテルのこの部屋は、地方から上京する受験生専用の部屋のようだ。どうりで料金はいたって安いが、この見ず知らずの連中と雑魚寝だ。
 話題に積極的に加わるでもなく、他の連中のやり取りを聞いていたら、どうやらキョロ目の受験先は赤い門のある大学らしい。なるほど、それを聞いてほしいために、話の中心になってたってわけだ。
 しかも昨日から泊まっているらしい。差し詰め「牢名主」気分か。
 やれやれ、同じ法学部志望でも、若者が受験するのは白い門が校歌に歌われている大学だ。しかも2部ときたもんだ。ますます話に混ざる気が無くなった。
 
 若者がふと時計を見たら19時を少し回ったところだった。
 若者はテレビを見ようと思った。そういえば、部屋の隅にテレビがあったのだが、皆、遠慮しているのか、誰もテレビをつけようとはしていなかった。
 若者はNHKのニュースを見たかった。若者はチャンネルを「4」にした。驚いた。ニュースではなかった、そして、NHKでもなかった。若者の頭の中は激しく混乱した。(ちょっと待でよー。テレビで番組が映るチャンネルっつーのは、4のNHK総合と6の岩手放送と8のNHK教育、そしてUHF35chのテレビ岩手しかねーはずだべ。んでも、こごは岩手じゃねえ、東京だべ。んでも、NHK総合っつーのは全国放送だべ。んで、なんで4チャンネルにしてもNHK のニュースやっていねーんだべ?)
 若者には、チャンネルをひとつひとつひねって放送局を確認するだけの勇気は無かった。いや、もしそれをしたとしても、当時の岩手県人である彼にとって、TBS系列の岩手放送、日本テレビ系列のテレビ岩手以外のフジテレビやテレビ朝日、ましてや東京12チャンネル(現・テレビ東京)の番組など知っているはずもなく、さらに、混乱を深めることとなっただろう。
 若者は、さっさと自分の布団を敷いて、皆に背を向けて寝た(フリをした。)
 
 


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