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振り返ることは、うしろ向きではない。

気分が落ちているときはじっとその波が通り過ぎるのを待つのだけれど、波があまりにも激しいときはそのいきおいで全てを手放したくなる。あれもやめ、これもやめ。ぜーんぶいちからやり直し。だれにも文句はいわせない、だってこれまで社会は散々わたしに面倒を押し付けてきたじゃないか、一度くらい投げ出してもいいんじゃないのって、いま動かなくていつ終わりにできるのかって。

前にむかって進むことだけを考え、成長、進歩、改善そして効率化と最適化。階段をのぼりつづけ、昨日よりも今日が高い場所ならば満足。はいはい、そうしてこれまで生きてきましたし、今後もそのつもりですよ。だって社会が個人にそう要求しているんじゃないですか。

それでも「なあ、ちょっと立ち止まって考えようや」と脳内にいるもうひとりのわたしが、帰り道、ふと冷静に声をかけてくる。激しい波の正体は、あなたに問題があるわけじゃない。月の満ち欠けのカレンダーに明記されている新月や満月のせい。気圧をはかるアプリで教えてくれる低気圧のせい、たまたま複雑な案件が重なったうえでの出来事のせいだ。

そして、こういうときこそ慎重になる必要があるんだよ、と言う。

荒ぶる波がおさまるのをじっと待つ。嵐が通り過ぎていくのをゆっくりと待つ。こころが落ち着く本を読みながら、なんども繰り返し聴いた音楽を流しながら、新緑や紅葉の美しい自然を思い出しながら、美味しいものを食べながら、大切な過去を振り返りながら。そうすればまたいつもどおりのわたしに戻れるからと無責任に語りかけてくる。

しゃらくせえなあ、わたしは思う。

理想は常日頃からの、みずうみのように、波のない穏やかなこころなのだ。

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気分の波をコントロールするのがとてもむずかしい。

落ちるときにはとことん深い地下室のなかに閉じこもってしまう。でも、いいじゃないか。閉じこもって、そこで自分が作り上げてきた過去のアルバムを開ければ、そこに前を向くための何か答えがあるかもしれない、重要なキーワードがみつかるかもしれない。光を見つけるかもしれないし、だれかの大切な笑顔があるかもしれない。扉を閉じたからこそ向き合えるのだ、過去にしっかりと。

だから振り返ることはなにひとつ、うしろ向きじゃない。まずはそれを肯定するところからはじめよう。

お読みいただきありがとうございます。サポートは社会の役に立つことに使いたいと思います。