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ヘリ野郎とは?《2024年版》

エアモビリティのバーティカルプラットフォームを運営するAirXで機体販売チームのディレクターをしております。今回はヘリ野郎の生い立ちと今何をしているのかについてまとめてみました🚁


【社会人歴】

平成18年(16歳):陸上自衛隊少年工科学校(現高等工科学校)@武山駐屯地
 ▶︎ 生徒52期生として入隊

平成21年(19歳):陸上自衛隊航空学校 整備部@明野駐屯地
 ▶︎ 多用途ヘリコプターUH60JAの機付整備員

平成23年(21歳):陸上自衛隊航空学校分校@北宇都宮駐屯地
 ▶︎ 第51-2期(第193期A)陸曹航空操縦課程

平成24年(22歳):陸上自衛隊中央即応集団 第1ヘリコプター団 第1輸送ヘリコプター群 第105飛行隊@木更津駐屯地
 ▶︎ 大型輸送ヘリコプターCH47の航空操縦士

平成28年(27歳):陸上自衛隊退官(10年6ヶ月勤務)&法人立ち上げ
 ▶︎ 資産形成のコンサルティング会社:株式会社サーヴァントライフパートナーズを設立し、代表取締役

平成29年(28歳):2社の立上げと運営に従事(0→1)
   ▶︎ 人材派遣・人材紹介会社:株式会社AR.キャリア 代表取締役
   ▶︎ WEBマーケティング会社:株式会社ビズバンク 代表取締役

平成30年(29歳):不動産会社の代表へ
 ▶︎ 不動産売買・賃貸・管理会社:株式会社アライアンス・リアルター 代表取締役

平成31年(令和元年,29歳):代表辞任・転職
 ▶︎ 空のスタートアップ、株式会社AirX(エアーエックス)へ入社、事業開発➡️機体売買事業ディレクター&事業用操縦士として勤務、現在に至る

オーストラリアでのフライト🚁

〜経歴〜

1989年8月21日生、大阪府泉佐野市、3人兄弟の次男として生まれる。

山と海に囲まれた自然豊かな地域で「だんじり」で有名な地域。関西国際空港が近く、大阪市内まで電車で1時間かからない田舎ながら交通アクセスは良い町で育つ。

父の実家は農業を営んでおり、収穫時期にはよく手伝っていました。採れたての野菜や果物がとても美味しかった記憶が今もよく覚えている。

《0歳〜6歳》
持病の小児喘息で発作の度に、入退院を繰り返し辛くて死ぬんじゃないかと思いつつも、家族のサポートとお医者さんの手により、なんとか死なずに生きのびる。

《6歳〜15歳》
両親が離婚、兄弟3人揃って父子家庭となる。 小1から家事は当番制、料理、洗濯、掃除等、一通りの事は幼いながらも出来るようになった。 小学3年からは『ボーイスカウト』に入りし、アウトドア活動や社会貢献活動にも参加させてもらい視野の広がる経験をたくさんさせてもらった。 中学の3年間はテニス部に精を出したり、同級生とバンドを組んで毎日がとても充実した日々でした。

《15歳〜16歳》
地元の公立高校に1年間在学し、音楽で仕事をしていきたいと考えていた為、アルバイトを掛け持ちしながらバンド活動をし続けていた。そんな中、漠然とした将来に対する不安と刺激の少ない日々に徐々に興味がなくなり、意を決して父の母校である『陸上自衛隊少年工科学校』を受験し合格、そのまま高校は中退、興味本位で自衛隊に入隊する。

《16歳〜18歳》
陸上自衛隊少年工科学校に入り、地獄の日々が始まり、理不尽かつ激烈な訓練、勉学、部活動が3年続き、1000回は辞めようと思ったが、時が過ぎていくうちに、自衛隊への興味関心が湧いてくるようになった。夢はトップガンのような戦闘機パイロット。その憧れをモチベーションに変え無事卒業。 この3年間は社会人になるための修行だった。同時に約250人の同期との絆、そして肉体面、精神面でも鍛えられ今の仕事にも活かされている部分がある。

《19歳〜22歳》
自衛隊の高校を21年3月に卒業後、茨城県土浦市の「霞ヶ浦駐屯地」にて、多用途ヘリコプターUH60JAの整備員になる為の専門学を学び、同年12月に三重県伊勢市の「明野駐屯地」に赴任、約2年半ヘリコプターの整備に携わる。 伊勢神宮が近く、庭のように通ってました。 自然豊かな田舎暮らしに慣れ、自転車や山登り等のスポーツに興味を持ったのもこの時期。

《22歳〜24歳》
刺激のある人生を過ごそうと思い、戦闘機乗りを目指すが、試験に受からず、ヘリコプター操縦の道へ変更、「陸曹航空操縦課程」の選抜試験を受験し合格、平成25年6月から栃木県宇都宮市「北宇都宮駐屯地」で1年9ヶ月、ヘリコプターの操縦をOH-6Dを通じて学ぶ。 宇都宮では、操縦技術や操縦士に必要な知識(工学、法規、通信、管制、気象、英語)と人間性を磨く場になった。

《24歳〜25歳》
平成26年2月、7回もの査定を潜り抜け国家試験に合格し無事に卒業、「事業用操縦士(回転翼)」免許を取得する。 同時に千葉県木更津市「木更津駐屯地」に転属、航空操縦士として勤務を開始、同年10月には輸送ヘリコプターCH-47の機種転換を修了し、部隊で飛び始める。 この頃並行して、職業の仕事に対する志の点で疑問を抱き、プライベートでは仕事外の方達と交流する機会が増え、物事に対する考え方がガラリと変わる。

《25歳〜26歳》
自分に人生に対する志が芽生え、楽しいことや自分のやりたいことを追求し始め行動し始める。 自分が思い描く未来や夢を手に入れるには自分がやりたいと思うことを「やるかやらないか」それだけの事、楽しいと思う事をやり続けれる人生を送ると心に誓う。

《27歳〜29歳》
自衛隊を退官し、稼ぐこととは?ビジネスとはなにか?を知るため営業の道へ。自衛隊の近い先輩が不動産業界で活躍する姿に憧れたことや、実家の不動産相続もあり不動産の道を進む。その他、仕事を通じての縁もあり他業種にもチャレンジ。 そんな中、いつか航空業界にチャレンジし直したいと思っていたこと、当時の株主と事業に対する方向性の不一致も重なり代表を辞任。

《29歳〜現在》
約3年間の経営者と自衛隊時代の空に関する知見と経験を活かし「空を身近に、人生を豊かに」をミッションを掲げる株式会社AirX(空のスタートアップ)に転職。
事業開発を経て、航空機販売セールスディレクターとしてヘリコプターの仕入れ販売、航空会社アライアンスを中心に従事。

空を身近に人生を豊かにすべく日々奮闘中です。

操縦中に富士山とのツーショット🗻

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