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パパは今天国で2歳

この間、パパの三回忌があった
よくわからないけど、周忌と回忌は違うみたいで、三回忌は命日から2年が経った日らしい

大体三十三回忌で弔い上げと言って、法事を打ち切ることが多いらしいんだけど、
「法事、あと何回もあんのか〜」
って思った

私は法事が好きじゃない、好きな人なんていないかもしれないけど、本当に好きじゃない。
わざわざ、その日に合わせて故人の死を再び悲しみ、わざわざ想い出に心を馳せる感じが、なんかすごく嫌だ。
私は、悲しみが溢れた時にダーっと泣いて、思い出したい時にふわっと思い出して、ちょっと切なくなったりちょっと満たされたりしたいのに。

儀式の型にはまって、わざとらしく故人を偲ぶ大人とおんなじにはなれない
自分のペースでゆっくり着実に、大切な人との別れを受け入れていきたい

とか考えてたら、法事もあっという間だった

こんなふうなことを考えている時点で、まだあんまり現実と向き合えていないんだなと、父親の死を以てしても死とはどんなものかを根底からは理解できていないんだなと、ちゃんと自分の未熟さに帰結した


人は悲しすぎる生き物で、どんな絶望も同じ重みのまま生きてはいかない(と私は思う)
あんなに人生に絶望した2年前、絶対に乗り越えられないと思ったし、周りの人間らが全員憎かった
自分の環境や周囲の人間の愚痴をたらたら吐いている人間を見ると、
「生きているだけマシだろ、与えられている環境や人間関係を当たり前と思うなよ」
とつい言いたくなった

だけど、今の私はそんな周りと同じことをしている。
似た毎日を繰り返すことで、だんだんとそれが当たり前のようになっていき、つい気に入らないことに目がいく
つい感情的になり、つい愚痴を吐く
私は父の死から、なにを学んだんだろう
時折り2年前の我に返り、情けなくなる
だけど、生きている人間を目の前にして、明日死ぬかもしれないからと、その人の全てを許し受け容れるのも中々極端で難しい
一体パパは、なにを伝えたかったんだろう。


私は今まで、ある感情に蓋をしてきた
それは、考えれば考えるほど、父の死が私にとって悲しいものなのかどうかわからないという感情だ
深く愛され、楽しい思い出も沢山あったけど、沢山喧嘩もしてきて、酒の勢いで酷いことを言われたり、深く傷ついた思い出も山ほどあった
大嫌いだと叫んだ日も数えきれないくらいあったのに、いなくなった瞬間大好きだったということには違和感があった
勿論いない事実はどうしようもなく苦しくて悲しいし、大切な人の死を悲しめないなんて人間失格だと思うのに、綺麗な思い出だけを切り取って、その死をなにか人生の学びに変えるのが今の私には本当に難しい

自殺は、その一件だけで周りをどん底に突き落とすだけでなく、死んだあとも周りを傷つけ続ける。
死を選んだ理由を教えられていなければ、尚更だと思う
一生分かり得ない答えを追い求め、分かり得ないとわかる度、絶望を感じる

私は、母がいながら、私たち子どもたちがいながら、親友がいながら、父のことを今も想う仲間がいながら死を選んだ父を、理解しきれず、まだどこか許せないでいる
それから、父と私は、考え方がどことなく似ている、自分を見ているみたいだと何回も言われたことがある
自分が死んだら、私がどんなふうになってしまうかは少しくらい予想がついたはずなのに、置いていくなんて、と思うこともある

きっと私ももっと大人になって、この気持ちに上手に折り合いをつけて、100%許せる時がきたら、心から笑ったり、幸せを感じたり、色のない世界にまた色をつけることができるんだと思う。

そんなの、あまりにも遠い未来のような気がしてならない
今は、純粋に父がいないことを嘆き悲しむ自分と、考えすぎて悲しめない自分に挟まれて、心が疲弊してしまっている気がする
当分は、折り合いをつける前にもがき疲れて父と同じ道を辿ることのないように、ということだけを目標に生きたい、生きさせてほしい

パパは、今日も申し訳なさそうに夢に出てきて、
「ごめん」と言ってね


ちなみに私は、ガーナのお葬式とか、メキシコの死者の日とか、あんな感じで故人を偲びたい

もし私が死んだら、めっちゃデコった棺にテディベアと缶ビール沢山入れて、ちゃんみなの歌とかジャンボリミッキーとか流してもらって(驚愕の振り幅)、参列者は皆1番オシャレと思う服装で来て欲しくて、髪の毛も好きな色に染めて、ピアスもごつごつアクセも外さなくていいし、カッカカッカ笑ってていいし、会場でラーメン食べてても乾杯しててもいいし、あとはあんま泣かんでほしい
全然、「なに死んでんねーん」ってツッコんでほしい
私の遺影には「すまん⭐︎」って吹き出しつけといてほしい

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