いまむら

やさしく、つよく、まっすぐに生きたい、わたしのことばたち

いまむら

やさしく、つよく、まっすぐに生きたい、わたしのことばたち

マガジン

  • 色んなテーマについて勝手に考えてみた。

    きっかけは、職場の店主さん。人生のさまざまなテーマについて考え、綴っていいのだと、今の私にとっての生きる楽しみをくれました。

最近の記事

尊敬の念が脳天を撃ち抜いた。

今日は絶対、絶対絶対noteに残そうって思う出来事が起きた というのも今日、夜に犬のお散歩をしていたら、上着のポケットからiPhoneが消えていたことに気がついた 落とした可能性があるのは、1キロ弱ある歩道の直線上。 普通の歩道ならまだしも、草むらが大好きな犬に合わせて歩いていたので、きっとその草むらの中に落とした。 1キロ弱の草むら。 軽く絶望した。 すぐさま来た道を引き返し、探しながら歩いてみるも、暗くてほとんど見えない iPhoneで照らそうと思ったら、iPhone

    • 優しさ、について。

      重い荷物を持ってあげることも、誰かの相談に乗ることも、電車で席を譲ることも、全部優しさだ してもらえると心があたたまること、それを想像して行動出来ること、社会通念上ではこれが優しさだろう そう思うと、優しい言動や人間は既にこの世の中に溢れている でも私には、もっと愛おしく大切に感じる優しさがある。 それは「しない」優しさだ。 相手が傷つく言葉を選ばない、相手が嫌がることをしない、必要以上に聞きたがらない。 いつもより明らかに元気のない同僚がいるとき、 「どうしたの、

      • 生きる楽しみをもらったお話

        半年前、ちょっと田舎の小さな和菓子屋さんで働き始めた 社会復帰がてら、また心がダメになりそうならすぐ辞めようくらいの気持ちでお世話になり始めたけど、どうも居心地が良すぎる職場。 ご夫婦で経営してるお店に、私がのこのこお手伝いをしに行ってる感じなのだけど、1日の中で店主さんとお話する時間が結構ある、仕事よりむしろそれ重視で出勤が楽しみな私がいる、すごくいる。 はじめは学歴とか、やってきたスポーツとか、以前勤めていた会社の話とか、誰にでもできるような誰とでも話せるような会話を

        • 歩くとは、少し止まること。

          昔から尊敬していてだいすきな先輩が、noteを日記のように使っているらしく、それいいなって思ってたので、私もたま〜に日記をつけてみようと思う、というかもっと気軽にnoteを更新してみようと思う 私にとってインスタやTwitter(もうXか)は、必ず見る人がいて、なんとなくその人たちを意識して発信している自分がいるけど、noteはそれとはちょっと違う。 知ってる人とは誰とも繋がってなくて、知らないどこかの誰かがもしかしたら読んでくれるかもしれないだけの、私の言葉を存分に使っ

        尊敬の念が脳天を撃ち抜いた。

        マガジン

        • 色んなテーマについて勝手に考えてみた。
          2本

        記事

          パパは今天国で2歳

          この間、パパの三回忌があった よくわからないけど、周忌と回忌は違うみたいで、三回忌は命日から2年が経った日らしい 大体三十三回忌で弔い上げと言って、法事を打ち切ることが多いらしいんだけど、 「法事、あと何回もあんのか〜」 って思った 私は法事が好きじゃない、好きな人なんていないかもしれないけど、本当に好きじゃない。 わざわざ、その日に合わせて故人の死を再び悲しみ、わざわざ想い出に心を馳せる感じが、なんかすごく嫌だ。 私は、悲しみが溢れた時にダーっと泣いて、思い出したい時に

          パパは今天国で2歳

          天国はどんなところですか?

          2ヶ月前、父が亡くなった。 その日は珍しく、夜遅くに母親からのに電話が鳴って、電話越しに泣いていたから、なぜかすぐ察しがついた。 生前父は、「俺ももう長くないと思うんだよな」って言ってた。でもさ、自殺はないよ。長くないと思うんだよな、って、自分で短くしただけだよ。最初は受け入れられなくて、何してくれてんだって気持ちでいっぱいだった。葬儀が落ち着くまでの1週間、数え切れないほど色んな人に会った。周りを散々に悲しませる父が憎かった。今どんな顔でどんな気持ちでそっから見てんだ?っ

          天国はどんなところですか?