優しさ、について。

重い荷物を持ってあげることも、誰かの相談に乗ることも、電車で席を譲ることも、全部優しさだ

してもらえると心があたたまること、それを想像して行動出来ること、社会通念上ではこれが優しさだろう
そう思うと、優しい言動や人間は既にこの世の中に溢れている


でも私には、もっと愛おしく大切に感じる優しさがある。

それは「しない」優しさだ。

相手が傷つく言葉を選ばない、相手が嫌がることをしない、必要以上に聞きたがらない。

いつもより明らかに元気のない同僚がいるとき、
「どうしたの、なにかあったら言ってね」と言ってあげることも、ただ心を寄り添わせなにも聞かないことも、どちらも優しさだ

電車で涎を垂らしながら爆睡している人が起きたとき、もしも目が合ってしまったら(そんな時もありますよね)と微笑むことも、自分も咄嗟に寝たふりをして目を合わせないことも、どちらも優しさだ

「する」優しさは、目に見える。
する側も、少なからずしてあげているという意識がある
だから連鎖的に、ありがとうの気持ちも生まれるだろう

だけど、「しない」優しさは、目に見えず、相手が知らないままでいることが多い。
それゆえ感謝をされないまま終わることも多い。
それでも「しない」をするということは、見返りを求めない愛情に似ているようで、誰にでもできることではない尊いことのように思える

「しない」優しさにも思いを馳せることができれば、世界はもっと、深く広い優しさで溢れるだろう
「しない」優しさも持ち続ければ、あなたの大切な人は、より柔らかく、満ち足りた笑顔を見せてくれるだろう

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