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ウニ狩り

少し荒れた海でウニをとっていた。ウニはそこかしこにいた。海に飛び込むと、2メートルから3メートルの海底にはたくさんの黒い点があって、近づくとそれらは皆ウニだった。海岸は少々荒れていたが、ウニ漁が目的か、海水浴か潮干狩りの時のようにごった返していた。

僕も飛び込んでウニを探した。美味しいと思ったからだ。海底にはポツポツとウニがいて、たまに吹き溜まりのように積み重なっている奴もいる。吹き溜まりウニは全部オスで、誰か配慮のない人が、雌雄を分けたときにいらないオスの見分けがつくように積んだのだ。僕は底の方に潜ろうとするがうまくいかない。一度上がって、周りの人たちと「ウニがあったよ」「ウニだねー」とお話ししながら場所を定め、まだあまり人が来ていないあたりで海に飛び込む。しばらく泳いで沖に出る。遠浅の砂浜で、深さは5メートルくらいになった。けれども一度潜ろうとすると、大きな波が沖の方からやってきて、それが過ぎると海底の砂がめくれて濁る。僕は前後左右、どちらが岸で、どちらが沖かはおろか、どちらが海面か海底かもおぼつかなくなる。早く息をしなければと思って、焦れば焦るほど手足は鈍り、どう手を動かせば進んで浮くのか、僕は泳ぎ方を忘れてしまいそうになる。もしかしたらこのまま、疲れて、沖の方に流されて、死ぬのかもしれない。死ぬのなら一気に死にたかった。意識があるまま沖に流されるほど怖いことはない。
なんとか水面に顔を出し、息継ぎをしながら岸へ戻る。ギリギリのところで助けられて、命の恩人だとお礼を言うと、その人は中学の先生だと言う(現実にはいない先生だ)。中年の女の先生で、いつも丁寧で優しかった。けれども僕は、在学時にその先生がいたかを憶えていない。

先生と話すうち、ウニ狩り教育の一環で、ひとクラス十数人分の生徒が体験のために海岸を訪れ、研修生の僕はそれについてきたのだ、と言うことになった。熟練の人は、飛び込みの距離を稼ぐため、まず海のすぐそばにある山の斜面に索道を置く。そのロープウェイを使って滑走し、その勢いで泳ぎにくい海の沖にまで到達する。ウニを取ること自体に許可はいらないけれど、この索道敷設に免許が要る。これが俗にウニ狩りが免許制だと思われている所以であり、実際に「ウニ狩り免許」とも呼ばれる。

話をしながら歩くうちに、海岸は廊下になり、ウニ狩りの客達はみな生徒と参観日の親になった。「のぞいてごらん」と言われて教室の一つを覗き込んだ。知っている先生が、聞いたことのある話をしていた。入学式の、最初の顔合わせの時に聞いた話だった。今日が入学なのかもしれない。先生はお節介で、その後もしばらく、僕の在学時から変わっていないところを案内し、当時からいる教師を見つけては、「ほら、何年度卒の〇〇さん。研修に来てるの」と、僕のことを紹介した。そこまで交友のなかった教師にまでそうするので僕と教師はお互い複雑な顔をしながらの会釈を繰り返すことになった。

先生はその後、自分の武勇伝について語ったが、それは比喩ではなくほんとうに武勇伝だった。その頃すでに先生は一つの伝説であった。障害者支援のかたわら習得したという熟練したウニ狩りから始まり、籠と火かき棒とロープの三種の神器のみを携えて世界の無人島へ繰り出した話はあまりにも有名だった。

先生の話が誇張されるにつれて、中学校は迷路のようになっていった。木造の校舎は何階建なのかわからない。普段生徒が利用しない階層などを歩く。学校内にはなんでもある。食堂は魚市場のような喧騒で、腕の立つ職人らが調理パフォーマンスを繰り返していた。海鮮丼が500円程度で食べられるらしかった。空母の甲板に付いているような、柵も何もないエレベーターが時折トラップのように廊下に設られており、それは古いもので現在は使っていないのだと先生は言ったが、踏むとガクンと音がしてゆっくりと下降し始めるので慌てて飛びのいた。遊郭建築のように、屋内に太鼓橋かあったりしたが、橋の向こうには何もなく、取ってつけたような窓から地上を見下ろすと、コンクリートを砕いたような、白い砂利敷きの駐車場か何かになっていて、どうやら少しずつ、木造の校舎は建て替えられているようだった。太鼓橋のそばには2メートル四方の吹き抜けがあり、そこをぐるりと回ると、側の柱に50×80センチほどの古い紙が貼ってある。紙には絵が描いてある。墨書きの、人をかたどったもののようで、くずし字は解読できなかった。保全され、絵の前にはたくさんのお供えや献花がしてあるので、きっと大事なものなんだろう。眺めていると先生が解説してくれた。ここに書かれているのは、かつて学校を創設するきっかけになった、一人の少年の絵らしい。この少年が何かを成したというより、ひとりの少年を助けるために周りが尽力した結果、現在の学校の前身となるものができたらしい。先生はその頃にはもういたと言う。

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