ファイナルファンタジー16 被害者たちは神を殺せたか① 【16回目の最終幻想】【FF16はどんなゲームか】

16回目の最終幻想

平成が終わり、令和になって一瞬のうちに5年もの月日が流れ、僕はよりおっさんになり、ファイナルファンタジーXVIがついに出ました。

来ましたね、この時が!
僕は発売日までに何とかゼルダをあらかじめクリアしておき、満を持してFF16に臨みました。
数週間前にクリアしましたので、感想文・レビューを書きたいと思います。

最初は軽く書くつもりだったんですが、書きたい事が後から後から出てきて25000字超になってしまいました。下手したらFF16やってた時間より、この感想について考えてた時間の方が長いです。メモを含めて40000字超えてしまったのを削っての25000字なので、ご勘弁ください。

ただ正直に言って、僕は思いました。何を俺はこんなに長々と書いているんだろうと。真剣にFF16のことを考えている人なんて、世の中にどれくらいいるだろうかと。みんなしゃべっているのはゼルダのことばかりじゃないか、と。

しかし、今回FF16で起こったことは、僕にとってはゼルダより更に興味深いことでした。と言うか、ゼルダが面白いのは当たり前じゃないですか。事件が起こっているのはいつもFFの方です。あまり読まれなくても、これを自分なりにまじめに考えて言葉にする意味はきっとあると思いました。なので書きます。

以下、めちゃくちゃに完全ネタバレで行くので、FF16やってない方は今すぐこの文章閉じてください。これ読んでからFF16やってもそれはそれで面白くなる、という方も実は結構いるのではと思いますが、しかしそれは相当な玄人だと思います。

僕は、前作のFF15が物凄く好きで、長いレビューを書きました。これです。

ファイナルファンタジー15 日常と神話をつなぐゲーム① 【はじめに】【FFとはなにか】

FF15はめっちゃくちゃ面白いゲームだったのですが、極めて複雑なゲームで、何が面白いのか言葉にするのが異常に難しく、文章にまとめるまでに2年以上かかりました。うってかわってFF16はファーストインプレッションを今の段階で一度書いてみたい気持ちになりました。たぶん、予めこの長い感想文を書いていたせいです。

もしよかったら、今回のFF16感想文を読む前に軽くご覧ください(こっちも17000字あるんで軽くでいいです)。別に読まなくてもこの文章単体で意図は伝わるものになってますが、読んでもらえたらより嬉しいという気持ちです。
なんでかと言うと、僕のこのFF16感想文は、僕のFF15の感想が終わったところから、その続き物として始まるからです。

と、いきなりもうこれがすでにFFの醍醐味ですね!

どういうことか。
僕は上記のFF15感想文で、「FFは、何をもってファイナルファンタジーと定義するかが難しい。各ナンバー作品ごとに全然世界観が異なるシリーズで、プロデューサーもデザイナーも変わるし、互いに明確な関連性が薄い。」みたいなことを書きましたが、今回FF16をやった結果、再確認できました。

FFの新作は、前作のFFの反省でできている。

FFは、世界やストーリーを何も受け継がない代わりに、次回作では前作の問題点の分析と反省をした結果が出力されている。
間違いなく、今回のFF16は、FF15のカウンターです。もう明確にそうなってました。

僕はFF15の感想文を書いたときに、来るべきFF16がどのようなゲームになるか、以下のように予想しました。

FF16が今後存在するとしたら、それはおそらく、人間中心の物語に戻っていくでしょう。
神が主役か人間が主役か分からないゲームは、人間がもろ手を挙げて賛同するのにはどう考えても向いていません。スクウェア・エニックスは自己分析の結果、FF15が袋叩きに遭った究極的な理由はここにあると結論付け、おそらくこの場所に戻ることは二度とできないでしょう。次のFFでは、人間が困難に見舞われながらも最終的にははっきりと自由を謳歌し、神が打倒される物語が描かれることになると思います。

ファイナルファンタジー15 日常と神話をつなぐゲーム④ 【最後の希望】

さっさと結論を言いますが、FF16は100%完全にこの通りのゲームになったと思います。
FF15をしっかりとプレイして、世の中の反応と照らし合わせて見つめた人は大体こういう予想になっていたんではと思いますが、やっぱその通りになりましたね。

僕としてもこの答え合わせを待ち遠しく思っていた。そして結果、予想通りになった。
僕はうれしかったか。

これもさっさと結論を書きますと、僕はめちゃくちゃ失望しました。
こんなつまらん僕の予想は軽く超えてくれることを期待していたのです。というか正直こうならないといいな、と思っていた道を本当にそのまま行ってしまったなという感覚です。そしてそのまま行っただけでなく、はっきり言って悪い道を行ったと思った。
これから、そう思った理由を詳しく書こうと思います。

僕は今回のFF16を駄作だとは思いません。FFが一貫して最低保証する「問答無用のゴージャス感」ははっきりと息づいていて、注ぎ込まれたプライドと意地と技術と時間を感じさせる見事なエンターテイメントになっていました。しかしそれ以外は残念な結果になったように思える……
というのが僕の端的な感想です。

ただ、です。

ただ、単に残念だったというだけだったらこの感想文はもうここで終わりなんですが、もうつまんないとか面白いとか好きとか嫌いとか、そういう単純な反射だけで終われるゲームじゃないんすよね、僕にとってFFは。

人生のほとんどの時間ともにあり、FF自身も時代とともにあったため、1から16まである程度リアルタイムで追ってくると、登場すること自体が一種のお祭りで、もうゲーム単体の面白いとかつまらないとかの評価にとどまることができなくて、「今回はなぜこうなったか」を考えるのが超面白いのです。長く付き合ってきた人間の特権ですね。

今回僕はFF16やりながら、眉間に深いしわを寄せっぱなしで、クリアまでずーーっと、数々の悪態をつき続けました。

「ふざけんな!」、「なめてんのか!」、「国がもろすぎだろ!」、「そうはならんだろ!」、「馬鹿にしてんのか!」、「いい加減それやめろ!」、「まーたそれか!」、「お前ひとりで解決すんのかよ!」、「どこ行っても人死にすぎだろ!」、「お前いっつも血吐いてんな!」、「いい加減まず自分の病気治せや!」、「この世界で血吐いてんのお前とシドだけだぞ!」、「石化してんの味方だけじゃねえか!」、「結局お前ひとりで勝つのかよ!」、「ただでさえ暗い鬱陶しい世界でなんでもっと空が暗くなってんだよ!」、「やっぱり全部お前ひとりでいいじゃん!」と。

しかし一生悪態をつきながら、召喚獣バトルではうおおおおお! と思い、はめられているとは分かっていてもジルの健気さやクライヴの苦難にほろほろと涙ぐんだり、大ドンパチ合戦でトリップしたり、犬を愛でたりして、楽しむところはマジで楽しんだのです。

そしてそんな中で、「なぜこうなった?」と考えながらプレイするのがめっちゃくちゃ面白かった。やりながらめちゃくちゃ怒っているのにやっててめちゃくちゃ面白かったのです。こんなゲーム体験は初めてでした。

FF16がどういうゲームで、なぜこうなったのか、個人の感想を書いてみます。

FF16のイカンところは、マジでイカンくて、悪だとさえ僕は感じました。自分がマジでイカンと思ったことは「なあなあ」にせず、たとえ間違っていたとしてもはっきり言葉にしておく必要があると思いました。

今そう思うだけかもしれない。僕はFF16をある面でぼろくそに書きますが、5年とか10年とか経って間違いと分かって恥ずかしい気持ちになるかもしれない。それを記録しておきたいのです。

そして最後にそれらを踏まえて次のFF17がどうなるかを予想します。今度も当たる気もするし、今度は外れる気もしています。

FF16はどんなゲームか

FF16とは一体どんなゲームだったのか。
これは、FF15と見比べると分かりやすいです。
冒頭に書いたとおり、FF16はFF15のカウンターとして成り立っているので。

まず先に、FF16が登場した今、FF15とは何だったのかを一言でいうと、「とてつもない無駄のゲーム」だったと思います。

大傑作FF15は、制作期間中、迷走していました。大傑作なのに迷走していたというのは奇妙としか言いようがありませんが、なぜか世の中には時々そういうことが起こります。

僕は内部の人間でも何でもなく外からぼんやり観察していただけなので内情なんかまったく知らず、本当のところがどうだったのか分かるはずもありません。以下はその前提の無責任な与太話として聞いてください。

そもそもFF15はFF13外伝として始まり、もっと早い段階で発売されるはずがどんどん方針が変わっていって、最終的な発売にたどり着いたときには、企画が始まった時から10年が経っていました。

その10年の間、何度も方針が変更され、最終的なゴールが決まって走り始めてから完成までは3年半ほどだったと言います。
つまりいきなり最初の6年間が無駄だったわけですが、上層部があーじゃこーじゃやってる間に取り残されたスタッフたちは何をやっていたかというと、おにぎりを握っていたと思われます。

これが文字通り本当におにぎりを握っていたのがFF15の凄いところです。長い間握り続けたおにぎりが召喚獣リヴァイアサンと同じ容量になった、というのは有名な話です。

スタッフたちはその他主人公ノクティスたちの髪をいじったり、AIにしゃべらせる大量のセリフを作ったり、車に色を塗ったり、音楽を作ったり、映画作ったりアニメ作ったり、あらゆるディテールを命がけで作りこみました。
その代わりに間に合わないので敵の国のマップはガワだけ作ったところで諦めました。

当時のスクエニ社長が「FF15の街が凄い!」とニコニコ顔で報告して、いつまでたっても新宿みたいな超高精細の街を作っているばかりで、肝心のゲーム全体が完成しそうな気配がない。なんか知らないけど、FF15に限らず、そういう何かすごく苦労してそうなプロジェクトの気配ってめっちゃ伝わってくるんですよね。
(ちなみに最終的に完成した新宿は全部闇に包まれていて、大半がぶっ壊れていました。)

再度、念のため言いますが、以上は全部、なんも知らない野次馬の暴言なので、本気にはしないでください。おにぎりは2年くらいしか握ってないかもしれないです。本当のところは何があったのか分からない。

そして詳しくもなければ長くもなるのでこれ以上の詳細は省きますが、とにかくFF15について、「なんでそこにここまで労力を注ぐ?=ほかにやるべきことあったんと違うか?」、「度重なる仕様変更でまともにゲームが作れてないのではないか?」という視線が外から注がれたことを理解してもらえればと思います。

個人的にはこういうとてつもない無駄がFF15の最高の魅力で、無駄でもなんでもなく極めて素晴らしいものだったことは強調しておきます。FF15の無駄は最高の無駄で、至高の贅沢でした。FF15の細部における作りこみがいかに素晴らしいものだったか、なぜ素晴らしかったか、ゲームの目的に完全に合致する、リアリティに命を懸けた素晴らしいものだったということは、FF15の感想文に書いたとおりです。

しかし「無駄では?」は我々ユーザー側の疑念だけでなく、製作する側にとっても、やはり本当にとんでもない無駄だったのでしょう。FF16を見て僕はそれがやっと分かりました。

FF16は、すごいです。まるで無駄がありません。
より正確に言うなら、無駄なことをしない、という姿勢が徹底しています。

まず、FF16はプロジェクトが始まってから公開された情報が、最初から最後まで一貫してました。あれどうなった? とか途中で大きく変わったところが1つもありませんでした。

FFはビッグプロジェクトをどう運営するか、大衆に受け入れられるエンターテイメントをどう提示するか、にトライしている、日本国内では稀有な例であり、分かりやすいモデルケースです。FF16のエンディングを観て僕は茫然としましたが、とにかくエンドロールで流れる人間の数が多い。まじでたぶん30分くらい(ちゃんと時間を測るべきでした、すいません)延々と名簿が続く。

これほどの人間をきちんと運用するにはおそらく仕様はあらかじめガチガチに固めておく必要がある。何が必要で何がそうでないか、ちゃんと決めておかないとまたFF15と同じように迷子になってしまい、完成するまで10年かかる。

誰ももう二度とそんなデスマーチは繰り返したくありません。

個人的な見解ですが、思い返せば、FFは常にどこかで失敗してきたシリーズです。必ずどこか致命的にアンバランスで、必ずどこかが足りないゲームです。個人的にはFF7以降全てがそうだったと感じています。
世界のコピーができない以上、何かを表現するということは何かを捨てるということなので、他のすべてのゲームも同じはずですが、何故かFFはその捨てた部分が異様に目立ちます。
その代わりやると決めたところはやった瞬間ロストテクノロジーになるくらい極限まで行く。そういうゲームだと感じます。

そのピーキーさがFFの魅力です。いい面はとことん素晴らしいが、悪い面に目を向けるとまるっきり足りないか破綻している。

何かを極限までやろうとしても、リソースは無限ではない。やれることが限られている。
その状況で、エンターテイメントのためにFFが何を選んだのかを考えるのが、物凄く面白い。

じゃあFF16は一体何を選んだのか。

僕は、FF15のカウンターたるFF16が選んだ目標は、あらゆる面において「完成させる」ということにあったと考えます。

シナリオは、ちゃんと敵を倒して完結させる。
制作期間は、当初の予定・納期に合わせて完成させる。
バグは、絶対に起こさず完成させる。

これらは全部、FF15ができなくて色んな人からめちゃくちゃ怒られたことです。

そして今回極限までやるべきことも、完成させる。それは何か。もちろんバトル、特に、召喚獣たちによる大怪獣バトルです。これに全リソースを突っ込みます。

結果、とにかくこれが凄い。これ「だけ」が凄いと言って過言ではないと思います。
後は特に何もない。FF16はドラマとバトルだけのゲームになりました。

FF16は、一切無駄がありません。
FF15が「物凄く手が込んでいるが、4割くらい欠けているケーキ」だとしたら、FF16は「クリーム」だけです。めちゃくちゃおいしいクリーム。

FF16のワールドマップを見てください。

一面砂漠のような世界地図に行先マークがプロットされているだけの極めてシンプルな形です。
しかしもういいんですこれで。ドラマだけで20時間くらいあるんだから、余計な寄り道してもらう必要ありません。

探索要素もないです。ちょっくら寄った崖に洞窟があるとか、行きがけの墓場の地下にダンジョンがあるとか、そういうのやってたらキリがなくて完成しないんで仕方がありません。

街は、ある程度力を注ぐところです。賑わっているように見せます。特に人が喋り続けることにだけは全力を注ぎます。これは大変ですが、何回も同じ場所を変化なく往復させるので、そのたびに言葉まで同じだと生きていないのがバレるためこれはやるしかない。何十本か喋るカカシを立たせておけばいいというわけにはいかない。

しかし一方で、オブジェクトが何かあるように見せかけて、ほぼ入れないすべての家は、大体同じ造りにします。世界中どこ行っても大体同じ家で、文化的な差とかは表現しません。主要なランドマークだけが違いがあれば十分であって、庶民の生活とか風土とかの違いを絵で表現していたらキリがなくて完成しません。石造りか木造りかの違いくらいあれば十分です。全部ハリボテですが、その代わり綺麗に作るのでそれでプレイヤーには我慢してもらいます。

フィールドにはとりあえずアイテムを散らばらせて置いておきますが、95%は屑アイテムです。どうせクリアすることだけが目的のゲーム設計なので、それで大丈夫だと思います。

そういう感じで、FF16というゲームはとにかくバトルとドラマと若干のお使いしかありません。
映画、戦闘、お使い、映画、戦闘、お使いを数十回繰り返したらクリアです。
最初から最後まで何も変わりません。

FF16の序盤、最初のミッションが極めて象徴的です。レストランでシチューを配膳させられるというまさに「はじめてのおつかい」みたいなクエストがあるのですが、僕は最初のクエストがあれだったのは絶対に意図的だったと確信しています。

これがFF16のシチューです。ご覧ください。

一方、これが前作FF15のシチューです。

今見ても、狂気じみたクオリティです。
どっちが新作のシチューか、なんも知らない人に答えさせたら、勘のいいガキ以外は100%誤答するでしょう。

クオリティの差は歴然とはいえ、FF16のシチューは、雑とは言えない。マズそうでもない。こんなもんでいいだろう、という絶妙なシチューです。狙ってもなかなか作れないんじゃないかと思うくらいの「こんなもんでいいだろう感」です。
これは、本筋に関係ないところは全部これくらいのクオリティで行くぞ、というスクエニの宣言です。

これがシチュー屋だったら、同じ値段で味が落ちた、という評価になってしまい、誰も店に行かなくなると思うのですが、幸いなことにこれはゲームであり、シチューのおいしさとゲームの面白さは普通あまり関係がないはずなので、多分大丈夫です。スクエニもそう判断しました。

冗談みたいに言ってますが、ユーザーに対し、このゲームがどこに力を入れてどこに力を入れないか、今後のクオリティレベルのバランスを最初に理解・納得させるかなりマジに重要なシーンだったと思います。

個人的にFF16で一番いいと思うところ。
それは、「攻略サイトを1秒も見なくていい」ということです。

見たいと思わないし、見る必要がない。
これほどの大作でこういうゲーム、なかなかないのではと思います。
何しろ、「映画見て剣振って映画見て剣振るだけ」なんで、見る必要があるわけないんですが、この体験は新鮮でした。最近の大作ゲームはクリアのための情報量や分岐が多くなりすぎて、初めから攻略サイトで情報共有されることが前提になっているとしか思えないものがほとんどになっていたので。

僕こないだエルデンリングやりまして、歴史的な大傑作だと思いましたが、常に攻略サイトを横目に見ながらやってる状態だった。知ってる情報があるとないとでゲーム進行の快適さとプレイ時間に差が出すぎるので、基本的に見るしかない。それはそれで楽しい行為なんですが、一方でプレイに他者が介在してくるし、自分で切り抜けた感は必然的に薄れる。

完成というのはプレイヤーがゲームをクリアしてこそ初めて完成といえるわけで、なるだけ多くの人に自分の力で完走させようとするFF16の設計はそれを見事に達成しています。

非常にクールなゲームですね。

で、そんなクールなFF16が実際やってみてどうだったのか、をこれから書いていきます。
クール、では片づけられないめちゃくちゃ色々なことがありました。

②「被害者たちのオンパレード」に続く


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