ファイナルファンタジー16 被害者たちは神を殺せたか② 【被害者たちのオンパレード】

被害者たちのオンパレード

「①FF16はどんなゲームか」からの続きです。

ということで、これから本格的にFF16に対する文句を書いていくんですが(前項までそうじゃなかったみたいですが)、その裏にはスクエニなりの動機、理由があることも僕なりに踏まえたいと思います。

「エンターテイメントとは何か。みんなに受け入れられるとはどういうことか。売れるにはどうすればいいか。失敗しないためにはどうすればいいか。そしてそれを、国内だけでは立ち行かないので世界でクリアするには」といったすべてをスクエニがめちゃくちゃ考えた結果、このゲームが出力されたことはよく分かっています。

僕は、僕が考えるようなことは基本的に、すでにスクエニが当然一度は考えたことだという前提に立ちます。

僕や他のプレイヤー程度が考えることはスクエニも当然考えている。数十億円かけて数百人の人間を動かす(実際いくらで何人か分かりませんが)という時には人間は、どうするべきかを死ぬほど考える、という前提に立ちます。たかが50時間くらい作品に触っただけのその辺のおっさんが思うようなことを、数百人の死ぬほど真剣にゲーム作っているプロたちが考えないわけない。その前提で文句書きます。

で、です。

必要な部分だけを残して後は可能な限り省略したFF16というゲームの3大要素、「バトル」「シナリオ」「グラフィック」ですが、このうち「シナリオ」に個人的には問題があり過ぎました。

FF16のシナリオはとにかく「説明」です。一生説明している。

FF15で最も見事だった「説明を省略して表現によって考えさせ、生きていると感じさせ、感動させる」という偉業は、プレイヤーからあまり評価されなかった上に作るのがめちゃくちゃ大変だったので、今回は全部止めました。
あれやってたらまた完成しないので仕方ありません。表現と説明。プレイヤーの最終的理解という点では大して変わらないどころか、後者の方が早い気がするので多分大丈夫だとスクエニは判断しました。

で、そのシナリオの中身がどうだったか。

まず、僕はクリアしたいまになっても「あの少年時代にフード被ってたやつは一体誰だったんだ?」と考えているような、理解に乏しい奴だということを最初に謝ります。すいません。そもそも僕はこのFF16の物語を全然理解していない可能性があります。

が、やってる間もクリアしてからもずーっと考え続けているのですが、それでもちょっとやっぱ今は、どうしてもこの物語に対してポジティブな感想が出てこないのです。
割とこの結論に至る人は多いみたいですが、僕も近い道を辿ることになりました。

FF16をやっていて、プレイ中に僕の口から何度も零れ落ちた感想。数々の悪態の中でも最も頻出した言葉、それが、

「まじで被害者だらけだな……」

です。

もうとにかく、どこ行っても何やっても被害者に出遭う。主人公も被害者だし、仲間も被害者だし、NPCも被害者だし、加害者も加害者にさせられたという被害者。

基本的にFF16のシナリオは、「誰かが誰かに虐げられたり殺されたりハメられたりして可哀想な目に遭う」か、「誰かが誰かに虐げられり殺されたりハメられたので、主人公のクライヴがぶっ飛ばす」というだけです。

善と悪がはっきりし過ぎてる。

これ、他の人の本当のところの感覚は僕には分かりません。しかし僕はこれは相当問題だと思いました。

もうこれは客観的にどうのこうの言おうとしても無理があるので、勇気を出して自分の見解を晒すしかありませんが、これは現代の物語ではないと僕は思った。

僕の現状認識として、物語及び現代社会の最大の課題とは、被害者の物語からどう抜け出すか、だと思っていました。そこにFF16が純度100%のそれを持ってきたので、僕はマジで驚いた。これはずーっと、何かの皮肉ではないかと思ってプレイしていたのですが、最後まで変わらなかった。

被害者の物語が問題だと思うのはなぜか。
大げさに言えば、僕はそれが世界に一種の大きな悪をもたらしていると感じているからです。

被害者の物語は、最強です。
被害者は常に正しい。正義が圧倒的に主人公の側にあります。
少なくとも聖書の時代から被害者の物語は鉄板で、その正しさには誰も逆らえない。

「被害者」をさらに分かりやすい言葉でいえば「かわいそうな人」です。登場人物みんな、虐げられているかわいそうな人たちです。かわいそうな人たちはかわいそうなのですべてを許され、かつ個別の人間性を奪われてかわいそうな人たちということでまとめられます。

SNSを見ても、いるのは基本的に被害者ばかりです。あるいは加害者の告発だらけです。加害者自身はほとんどどこにもいない。被害者の物語は共感を呼んで一気に波及する。そして加害者をタコ殴りにする。しょうがないですよね、加害者なんですから。奴らは人間の屑なんですから。寄ってたかって殴られるくらい仕方ありません。

俺はそうは思わないのでFF16は幼稚で危険だと感じました。
今も昔も、世界中どの国もみんな被害者です。攻められた国はもちろん、攻めてる国もそうです。全員が被害者の論理で動いています。実際、それは事実なんでしょう。悪い奴がいて、殴ってきたのだとしたら、黙っている道理はありません。
ロシアに攻め込まれたウクライナは圧倒的被害者で、間違いなく戦うしかありません。

被害者は勿論かわいそうです。誰かが誰かに虐げられているのは僕も大嫌いです。俺が正しくて相手が悪い。そうなんでしょう。しかしこの単純さは間違いなく戦争の論理であり、テロリストの論理です。実際にクライヴ一派は、大罪人とうそぶいて正義を成すテロリストになります。

被害者には自己批判がない。当たり前です。そんなことをやっていたら今攻めてきている加害者を倒せませんから。しかしせめてフィクションだけでもそれをやるのが物語の倫理ではないですか? クライヴはクリスタル破壊というテロにあたって逡巡しているところを見せなくもありませんが、ポーズに過ぎず、結局は容赦なく破壊して己の正義をまっとうします。仲間たちも「これはやらねばならないから信じて頑張れ」と一貫して応援するばかりです。
正直、やってて僕は空恐ろしかったです。この先に何があるのかと。(これについては後でも詳しく書きます)

僕はこれをひっくり返して、最後には、「正義面してるお前もテロリストだぞ」、「お前らは日々『クライヴたち』を追い込んでいるんだぞ」とプレイヤーを挑発する物語になるのでは、あるいは「被害と正義をこじらせてテロリストになる皮肉と悲しみ」の物語になるのでは、とも考えたのですが、どうもそうは読めないし、もちろんそう読めたところで物語としてあんまり気持ちよくないので大多数に受けるためのエンターテイメントになりづらいです。スクエニもそう判断したようです。

途中、クライヴがテロを起こして被害者に詰め寄られるところで、被害者と正義の対立が現れて面白くなるのかとも思いました。そもそもクライヴのテロ行為にこっちもちゃんと納得がいってないので、あそこがターニングポイントだった。が、そこが正義の対立の唯一の線香花火で、終幕間際の状況が一番ヤバくなったところでなぜか結局みんな許してくれるので、ほとんど意味がありませんでした。

被害者のエンターテイメントが蔓延しているのが確かに今の世の中です。人々に受けるコンテンツです。一番バズってるネタです。しかし現代の物語がそれをそのままなぞることにどれほど意味があるのか。加害者を許せと言っているわけでもないし、加害者になれと言っているわけでももちろんない。そういう単純な分断はもうやめてくれと言っているのです。心底飽き飽きしている。

少なくともこういう単純な物語は、世界が複雑であることを伝えるのには向いていないです。単純な物語が持つのは、世界を分断する機能です。

これが別にどうでもいい、ということもありえる。物語が単純で何が悪い、という話ではある。すべての作品が現代の問題に立ち向かっていなければならない、なんていう決まりはありません。

しかし今回は大きく言って以下の3点から、僕はこれを否定します。

 ① FFはこれまで常に現代に向き合ってきた
 ② 50%がシナリオのゲーム
 ③ 大人向けのゲーム

まず、①について。これまでのほとんどのFFは、常にこの「現代の物語」という問題に立ち向かってきました。にもかかわらず最新作でそれを完全に忘れたとしか思えないことに僕は幻滅しました。
(もう完全に老害オタクみたいなこと言ってますが、気になるんだから仕様がありません)

FF7とFF15が最も代表的でしょうが、僕が今思い出すのはFF12です。
このゲームは現代どころか未来を予測していた。歴史が繰り返すことを予測していた。

FF12が発売されたのはいまから17年前ですが、僕は最近リマスター版でやり直して、このゲームの意味がやっと分かりました。

FF12がどんな物語だったか。
アルケイディア帝国と西方のロザリア帝国の二大国家が戦争を繰り広げる最中、中立国だったダルマスカ王国はアルケイディア帝国に占領される。
国民たちと夫をアルケイディアに殺されたダルマスカ王国の王女アーシェは復讐を誓う。アーシェ王女は超強力な神の力が込められた「破魔石」を求め、帝国に戦いを挑みます。

これ、完全に今起こっている戦争と同じフレームです。
ダルマスカはウクライナで、アルケイディアはロシアで、「西方の」ロザリアはアメリカです。破魔石は核兵器です。アーシェ王女はゼレンスキーで、最終ボスのヴェインはプーチンです。

戦争が始まった後のゼレンスキーの顔を見て、アーシェ王女がどうしてあそこまで怒り狂っていたのか僕はやっと分かりました。一方で、ほとんどアーシェと同じ境遇のヴァンやパンネロが、風のように軽やかに振る舞うことの意味もやっと分かりました。
被害者にも色々いるし色々ある。これが示す意味はとてつもなくでかく、そして気高いです。

で、最後に「被害者」アーシェ王女が言うセリフで僕は落涙しました。17年前に最初にやった時はあのセリフの意味がちゃんと分かってなかったのです。(「バルフレアーー!」のことじゃないっすよ、念のため)

勿論ゲームは戦争とは違います。物語は戦争とは全然違います。しかし、だからいいんです。現実と違う可能性を提示してくれる。そこに物語の意味がある。

17年前にこれをやっておいて、今更FF16で自己批判のないテロリストを主人公にされるのと、全員同じ顔の被害者たちを並べられることは、僕にとってはとてもキツいことだったのです。

② 50%がシナリオのゲーム
について。

これは単純な話です。シナリオがどうでもいいゲーム、というのも世の中にはありうるわけで、FF16もそうなんでは、という可能性ですが、これは無理です。

FF16はシナリオを追いかける説明時間がゲーム体験の文字通り半分です。
びっちりつき合う20時間の価値を無視するわけにはいかないので、「ドンパチできれば話はどうでもいい」というわけにいきません。いやでも話の意味や価値はきっちり考える必要がある。

③ 大人向けのゲーム
について。

これであるがゆえに、FF16の単純さは余計にマズいと思いました。

というのは、またこれは僕の意見ですが、「大人」というのは何かと言えば、「世の中が複雑だということを分かっている人々」のことだと考えているからです。そうじゃないかもしれませんが、僕はそう思わないとやってられないのでそう考えています。

そういう「大人」しか対象になっていない、血しぶきは飛ぶし男と女は裸で抱きあうゲームなので、FF16の単純さは恐ろしくちぐはぐに感じられます。

とは言え逆に、これが子供向けのゲームでこういう話だったら更にヤバいと思うので、まだこれでよかったのかもしれません。この単純な物語に耐えてメタ視点で捉えられるのは逆に大人だけだと思うので、それがスクエニの狙いだったのかもしれない。
もし僕が学校の先生だったら、「FF16をやる時は、ちょっとちゃんと考えてやってほしい」と余計なことを生徒たちに伝えたい気持ちです。

以上、主にこれらの3点によって、僕にとってFF16の物語はやはり滅茶滅茶きつかった、という感覚です。

で、僕は思うのです。なんでこんなことになったのだ? と。ここから先はその謎について考えます。

「③「謎」のゲーム、FF16」に続きます。


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