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立ち止まって、考える

久しぶりにゆっくり読書をした。

学生の頃に買った松村圭一郎さんの「後ろめたさの人類学」。
この方に限らず文化人類学の本を読んでいると思考に言葉を当てはめて落とし込んでいくのがすごく上手だなと唸る部分が多いのだけれど、
この学問の特性上それを目的にしているからなのかなと思う。

つまり、人が感じる些細な違和感、ズレや気付きにどれだけ言葉を当てられるか、それが人類学者に求められることなのだろうなと。

今年度から社会人になって、資本主義の忙しなさに見事飲まれてしまっているわけだけど、
そうなると十分に思索にふけったり、日々を振り返ることができておらず…
意識してそういった時間を設けないと、本当にあっという間に気づくことすらできなくなるんだろうと怖くなった。

子供の頃は長かった一年がどんどん短く味気ないものになるように、
意識して感覚を研ぎ澄まさないと、どんどん摩耗して惰性で過ごしてしまうのだろう。

それもそれできっと悪くはないのだけれど、
できれば些細なことにも気付ける感覚を持っていたい、考えるのにも体力がいるから、その体力を衰えさせないようにしたい。

そんなことを思った2023年元旦。

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