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俳優ゆうたろうさん インタビュー後編・古着屋との出合い「好きなモノ認めてもらった」

 俳優のゆうたろうさん(23)は広島市で過ごした中学時代、学校になじむことができずに不登校だった時期があるそうです。後編ではファッションやメークなど自分の「好き」を通して居場所を見つけだした経験や、学校に行けなかった過去も発信している理由を語ってくれました。

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―高校には進学しなかったのですね。

 通信制など選択肢はいろいろありましたが、自分の中では行かないと決めていました。学びたいことがなかったし、そんな状態で親に学費を出してもらうのも嫌でした。それよりは働いて自立したいと思いました。

 求人誌を見て、経験や能力がなくてもできそうなところに電話をかけたのですが、本当にどきどきでしたよ。中卒だからと断られることもあったし、まともに受け答えもできなかったので面接もうまくいかず。
 でも、とある洋食店の社長が「学歴で判断したくない。いいと感じた人間と働きたいんだ」と言ってホールのアルバイトとして採用してくれました。何も知らないし「いらっしゃいませ」もろくに言えない僕でしたが、イチから教えてくれ、すごくうれしかった。

―10代半ばで社会に出るのは、とても勇気がいることだと思います。行動力はどこから生まれたんですか。

 これ以上は無駄な時間を過ごしたくない、という気持ちが大きかったです。スマホだけを見る生活で、もう親にも負担を掛けたくなかった。結果、自分で頑張って働いてお金を得られることに、すごく喜びを感じました。時給850円くらいでしたけどね。それに「働けるなら働け」と背中を押してくれる人もいたんです。

―それは誰ですか。

 ちょうどアルバイト先を探していたのと同じぐらいのタイミングで、姉の知り合いからファッションショーのモデルに誘われたんです。服飾の学生さんたちのショーですが、僕の背中を押してくれたのはその主催者です。僕が「今、何もできていない状態です」と明かしたら、「働いてみろ」とか「次に会う時までにこれをやっておけ」とか。
 その人もだし、アルバイト先の洋食店の社長もですが、僕のことをすごく気に掛けてくれていたし、それが伝わってきた。自分のことを本気で考えてくれるこの人たちがいたから頑張れたというのもあります。

―ファッションショーですか。今の仕事と通じていますね。

 人前に立つなんて考えもしていませんでしたが、このショーで人前に立つ快感を初めて味わいました。ファッションとメークを通じて人に褒めてもらうことができて、すごくうれしかった。そこからバイト代を服やメーク道具に充てるようになりました。そして出合ったのが、今も店員を続けている古着店の「サントニブンノイチ」です。

サントニブンノイチで働き始めた頃(ゆうたろうさんのインスタから)

―サントニブンノイチ。どんな店だったのですか。

 大阪を拠点とした店で、数日間限定で広島に出店した時に姉に連れられて行ったのが出合いのきっかけですが、もう衝撃でした。カラフルでポップでビッグサイズ。きらきらで個性的な世界観にはまりました。

―広島の街で着ていたら、注目を集めたのでは?

 確かに最初は目線が気になったんですけど、だんだん快感になりました。スナップをお願いされたら「よっしゃー」って。SNSに顔を隠してコーディネートを載せることもしましたが、「いいね」が増えると自分が認められていくような感じで。自分を否定して、隠していた頃と真逆ですね。好きなモノを認めてもらうのは本当にうれしい。

サントニブンノイチの店員時代(ゆうたろうさんのインスタから)

 バイト代をためては大阪まで買い物に行き、何度も試着してコーディネートを考えて…。すごくきらきらしていた時期ですね。
 そのうちに大阪でオーナーに声を掛けられ、スタッフとして働くようになりました。16歳です。もちろんすぐに認められて働けたわけでもないんです。若いしファッションの経験もなかったので。でもそれじゃあ悔しいので、自分のセンスを認めてもらうつもりで半年くらい通い詰めました。

―ガッツがありますね。

 大阪で働き始めた頃も人見知りは続いていたんです。でも、コミュニケーション力やセンスを磨くために休日も店に出て、先輩の技を学んでいました。
 古着店で働き始めてからは、受信者だった自分が発信者になったんです。SNSの「いいね」が1から2になり、5になり10になり。フォロワーがファンになって店にも来てくれる。階段をちゃんと上っていく感覚を得られたのが、モチベーションでした。今も店員を続けていて、この年始にも出勤しましたよ。

サントニブンノイチの店員時代(ゆうたろうさんのインスタから)

―17歳で芸能事務所に所属してからは、よりいっそう自分をさらけ出す仕事です。もう抵抗はなくなりましたか。

 根っこの部分では、今も自信がないから着飾っているところがあるんです。でも表舞台に立つ以上はポジティブな発信をしたい。それは不登校だった過去を隠すこととは違います。むしろ僕の話で「元気が出た」と言ってくれる人のために伝えていきたい。同じ状況で悩んでいる人に、経験者だから言える言葉があると思っているからです。寄り添える人になりたいし、応援できる人になりたい。

―広島県の一部の小中学校には、通常の教室になじみにくい子どもが自分のペースで学べるSSR(スペシャルサポートルーム)と呼ばれる部屋があります。2月初旬、SSRに通う子どもたちが集うオンラインイベント(県教委主催)に出演していましたね。

 はい。SSRに通っている中学生に「好きなこと」や「つながり」をテーマにインタビューされ、その動画がイベントで流れました。SSR。今は学校にそんな場所があるんですね。一人一人に寄り添える環境が学校の中に増えたらいいなとすごく思います。

―大人たちに伝えたいことはありますか?

 大人の常識を押し付けるのではなく、どうか子どもと同じ目線で向き合ってほしいです。今はすごく選択肢が増えています。その多様な時代にどう生きるのか、闘っているところでその選択を責められてしまうと、自信も希望もなくなってしまうと思うから。
 あの頃の経験や選択があるから、今の僕がある。学校に行かなかったという選択を間違ったとは思っていませんし、今の自分も過去の自分も好きでいたい。これからも、もっともっといろんな自分をたくさんの人に知ってもらいたいです。