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広島の一等地、八丁堀にたたずむ古い公衆トイレ。 背景を調べました。

 「広島市中区の八丁堀交差点近くにある、古い公衆トイレが気になります。撤去しないのでしょうか。ちょっと怖いんですが」。こんな声が、広島市東区の主婦(44)からLINEで寄せられました。男女共用で和式スタイル。残された経緯をひもとき、都心の公衆トイレの在り方を考えてみました。(加納亜弥)

音声メディアVoicy「聞いてみんさい!広島」では、記者が八丁堀の公衆トイレの取材を振り返り、語っています

どんなトイレかというと

 買い物客や会社員たちが行き交う八丁堀交差点。その北西にぽつんと立つ古びたトイレがある。中には、男性用小便器が3器、個室が2室ある。勇気を出して中へ。汚くはないけど…。あっ、紙がない。荷物を置く場所もない。結局、近くのデパートに走った。

 ひと安心してから、八丁堀交差点に向かうビルの地下にある老舗パン店「MON」に寄った。ここで20年以上働いている女性(52)は「とうかさんの時とか『トイレを貸して』と寄る方もいます。全部に応じるとキリがないので、あの公衆トイレを勧めます」と教えてくれた。
 「でも、今はコンビニにもデパートにもきれいなトイレがありますよね」と記者が聞くと、女性は「うちのトイレは貸せないけど、よその店のトイレを使ってくれ、なんて言えませんよ」。うーん、確かに。

設置は1959年

 そもそも、どういう経緯でこのトイレはできたんだろう。管理する広島市の環境局業務第2課に聞いてみた。このトイレは1959年5月に市が設けたそうだ。幟町地区社会福祉協議会や近くの住民からの要望に応じたのだという。81年、そばにある中国銀行のビル改築に合わせ、大規模改修された。
 それから40年。市の小田明生・業務第2課長は「存廃を巡る強い要望もなく、特に議論もしていない。今は改修の予定もありません」と淡々と話す。
 なんか引っかかる。広島の一等地に、こんな入りにくいトイレがあることに、なんの議論もしてないの?
 市政の歴史や事情に詳しい、退職した幹部たちにも話を聞いてみた。すると、「存廃や改修について議論した記憶はあるけど、いつなのか、そしてどうなったのか忘れた」と口をそろえる。
 そうなると突き止めたくなる。5人目でたどりついた。その人は「それ、自分が担当だったよ。6、7年前に利用実態を調べた」と教えてくれた。「利用者数を定点観測したら、夜の利用が多かった。飲み会からの帰りに、ちょっと使う、みたいな。一定の利用があるという結論だったよ」。洋式にするなどの大幅改修も検討したが、スペースが狭くて断念。報告書は後任に引き継いだという。

 もう一度、現在の小田課長に聞いて、その報告書を探してもらった。でも結局、見つからなかった。
 デパートやコンビニのトイレが充実していない時代は、市民に重宝されただろう八丁堀の公衆トイレ。その存在意義が宙に浮いたまま、姿だけが老いていく。なんだか、かわいそうになってきた。

他の自治体では?

 暗い、怖い、汚い、臭い―。公衆トイレに付きまとう「4K」を脱却しようと、他の自治体では、公衆トイレの改善に力を入れる動きが広がっている。

 東京都渋谷区では2017年度から、日本財団(東京)と連携。安藤忠雄氏たち著名な建築家やデザイナー16人が参加し、「誰もが快適に使用できる」をコンセプトに、トイレを改修するプロジェクトに取り組んでいる。
 ぱっと見、トイレというよりおしゃれな建物だ。日本財団のプロモーションビデオで、参加した一人、建築家の隈研吾氏は「トイレはその国の文化を示す、非常に重要な建築。いいトイレは街のイメージを変える」と語っている。
 プロジェクトでは全17カ所で改修を進めており、トイレ清掃の回数も1日1回を2、3回に増やした。地元では「街全体の価値が上がった」「子連れでも入りやすくなった」という声が出ているそうだ。
 広島県内でも廿日市市などが、外国人観光客の受け入れを進めるため、公衆トイレの改善に取り組んでいる。
 


都市計画づくりの立場からー広島修道大・木原一郎准教授

 広島市の都市計画づくりに関わる広島修道大の木原一郎准教授(エリアマネジメント)は八丁堀の公衆トイレについて「立ち寄りがたい公共空間って、一番あってはならないですよね。トイレの機能としては残していいけれど、市自らがそのままにしていてはならない」と指摘する。

 八丁堀地区は高度経済成長期に建てられた民間ビルが多い。市は、居心地がよく歩きたくなる「ウオーカブルな人中心の空間」を提唱しており、老朽化した民間ビルの再開発を後押ししている。木原准教授はこうも言う。「それなら公共空間から先に変わるべきです。点から始めて、波及する部分はきっとあると思います」

街なかトイレどうあるべき? 「みんなにやさしいトイレ会議」(長崎)の竹中さんに聞きました

 長崎市には、よりよい公衆トイレの整備に取り組む市民グループ「みんなにやさしいトイレ会議」があります。街の公衆トイレの改修に、市民目線で行政に提言を続けています。実行委員長の竹中晴美さんに、街なかトイレの在り方について意見を伺いました。

街なかのトイレってどうあるべきでしょうか。

 トイレの向こうに、みなさんは何が見えますか? トイレってね、文化の証しなんですよ。人間は一生に20万回くらいトイレに行くってほど、ないと生きていけないもの。街に出るときも、当たり前に使えると思うでしょう。でも、それは年齢によっても変わる。特に年を取ると、トイレが近くなる。「あそこならトイレがあるから行ける」って考えるの。
 お年寄りだけじゃない。小さな子を連れてたってそうでしょう? セクシュアルマイノリティーの方だって、行けるトイレが出先にないとぼうこう炎になることもある。トイレは、おもてなしの基本。基本が整ってこそ、本当の文化都市だと思います。

広島・八丁堀のトイレをずばり、どう思われますか。

 街なかに今どき残っていない、すごい例だね。これって、使う人は、きっとレバーを足で踏んで水を流してるよね。荷物どこに置くの? 赤ちゃんいたら、背負って用を足すの? このトイレに、使う人側の視点は見えてこないな。

長崎ではどうやって活動を始めたんですか。

 長崎で「女性だけのまち歩き」のイベントを企画したのが1986年。その時に「女性のまち歩きには公衆トイレは必須!」と、1年かけて実態調査をしました。その資料を市に提出した翌日、当時の市長が「すぐに公衆トイレを見に行きなさい!」と部下に指示。これが長崎市内の公衆トイレ改修に拍車が掛かったきっかけです。
 10年かけてだんだんよくなりました。でも、それなりにおしゃれで新しい外観でも、何か違和感…。使う人側の視点がほとんど入ってないと感じました。そこで、「まあだだよ」という本を発行しました。長崎のトイレ文化は、まだ途上という意味です。すると神戸大のテキストに採用されるなど、全国から反響が集まりました。

 その本を携えて、今度は市の観光課に行きました。すると「トイレは施設整備の部署で、ここではありません」と断られました。私は「トイレ=公衆便所」としてではなく、まちづくりとして考えたかった。その後、田上富久市長と話した時に「これはまちづくりだよ」と言ってくださったので確信を持てました。まちづくりの課とやりとりすることで、市の関連部署が横のつながりに取り組んでくれるようになったのです。
 仲間は広がり、2011年に「みんなにやさしいトイレ会議」実行委員会として組織化。「使う側」の代表として、6、7人のメンバーが中心となり、市の公園・公衆トイレの改修提言に取り組んできました。設計の段階から、市とトイレメーカーなどの専門家と一緒に会議。これまで15カ所の改修に成功しました。

行政まかせではない姿勢に共感が持てます。

 一石を投じたのが、たまたま私だっただけ。でも、もし「この八丁堀のトイレ嫌だな」って思う人がいたら、今は行政に言うのは遠回りね。誰でもツイッターでつぶやけるもの。炎上したっていいの、それで見てもらえるんだから。トイレに関心ある人が集まって、思いを集約して、行政に伝えればいい。誰かが何かを始めないと、行政は「文句がない」と思う。もちろん、文句ばかり言ってても改善につながりません。かといって無関心はもっとつながらない。伝えなければ、伝わらないですから。

 こちら編集局では、皆さんの「なぜ」「おかしい」など日々の疑問や困りごとなどの声を募っています。記者に調べてもらいたいこと、ありませんか。あなたの声をぜひお寄せください。声はこちらへ

音声メディアVoicy「聞いてみんさい!広島」では、八丁堀の公衆トイレについて、記者が取材を振り返り思いを語っています。ぜひ聞いてみてください。