依頼が絶えないウエディングプランナー34歳@広島【前編】起業の不安を乗り越えるために送った一通のメール
ウエディングを真っ青な海が広がるビーチで。別のカップルは、大好きなおじいちゃんの家も舞台に。オリジナリティーあふれる企画で、依頼が絶えないフリーウエディングプランナーの池田真莉さん(34)=広島市中区。起業して「広島にないサービスを自分で生み出す」を実現したマイルールを聞きました。(聞き手・久保友美恵、写真・河合佑樹)
私が提案するプランには縛りがありません。主役は依頼をいただいたカップルです。「どんな夫婦の未来を描くのか」「誰に何を伝えたいのか」を何度も話し合って掘り下げます。その思いを自由に形にしていくんです。
真っ青な海が広がるビーチや、霧深い森の中のキャンプ場を会場にすることもあります。新郎新婦が「仲良しの美容師にヘアセットを頼みたい」と願えば、そうします。
以前、ある新婦が「大好きな祖父に花嫁姿を見せたいけれど、祖父は高齢で結婚式に参列できない」と悩んでいたんです。私はおじいさまの家で着付けとメークをして、そこから式場に向かうことを提案しました。白無垢(むく)姿を一番におじいさまに見てもらうことができ、家の縁側で記念撮影もしました。
お客さまの要望には「ちょっと難しいですね」とは言いません。「できる方法を考えてみましょう」と答えるようにしています。そして、装花やヘアメーク、料理、衣装、撮影などいろいろな分野のクリエーターと協力して結婚式をつくります。
お客さまの「こうしたい」という願いをかなえるだけなら、他の人でもできるかもしれません。でも、2人がやりたいことの、その上を超えたい。そんな提案をすることに、私の仕事の価値があるとも思っています。
結婚式の間は、全スタッフが120%全力を注ぎます。その姿は本当にかっこいい。ただ、新郎新婦には全てのスタッフの姿は見えないんですね。結婚式をする人と、結婚式をつくり上げる人の距離をもっと近づけたかった。
もう一つのきっかけは26歳の頃のカナダ留学です。現地で、友人の結婚式に参列し、そこで見た光景が今の仕事につながっています。日本の結婚式とは全く違ったんです。
建築家の新郎が自ら設計した立食用のテーブルが並べられ、司会進行も新郎新婦が切り盛りして場を盛り上げていて。テーブルコーディネートも手作り感があっておしゃれ。「こんなやり方があるの」と感動しました。私もオリジナリティーあふれる式を作りたい。帰国したら独立しようと決めました。
カナダ留学から広島に戻れば、あとは起業しかない。その前に少しでも接客力を磨きたいと思ったんです。そこで、日本で一番接客がすてきだと思う「星野リゾート」(長野県軽井沢町)のホテルの契約社員にカナダから応募しました。
配属先は沖縄本島と台湾の間にある小浜島。接客で大切にするよう学んだのは、お客さまの旅の思い出がポジティブになるためのサポート。リゾート地に来たのに天候に恵まれなかったときに、どんな言葉をかけたらよいかを考えた経験が今に生きています。
約1年間の契約が切れる前、今後も星野リゾートで働かないかと声をかけてもらったのですが、広島に戻ることを決めました。
ものすごくありました。「予約が入らないかも」「たくさんの人に応援してもらったのに、うまくいかなかったらどうしよう」とかプレッシャーが大きかったです。
ちょうどその時、東京でオーダーメード型の結婚式をする先駆的な会社を立ち上げた女性の著書を読んだんです。何か良いヒントが欲しかったのに、「こんな人がいて、こんなサービスがもうあるなら、私がやらなくてもいいんじゃないか」と逆に落ち込んでしまいました。
一方で、「私もこの人みたいに『できないことはない』と自信を持ちたい」という気持ちも湧いてきて。「よし、私も『ありえないこと』を一つやってみよう」と決めました。
そこで、この著者に「お会いしたいです」とメールを送りました。当時、その人の著書はものすごく売れていて、ビジネス界やウエディング業界の超有名人。無謀だと分かった上でのメールでした。でも、翌日、「明日東京に来られますか?」とお返事をもらえたんです。すぐに東京に行きました。
東京でその方と話をさせてもらいました。その時、「うちの会社で働かない?」と声をかけてもらいました。東京の注目されている職場で、憧れの人と働くことにとても魅力も感じました。
でも、出した答えは「広島にないことを自分で生み出したい」でした。広島にいるすてきなカメラマンやヘアメークさんたちと一緒に働きたいと思いました。それに、瀬戸内海や緑豊かな田舎がある中国地方は、多様な結婚式をする点でも利点になるとも考えました。
絶対会えないと思っていた人に、行動すれば会えた。この経験で「自分を信じよう」「不安を打ち消すのは自分でしかない」と、くるっと気持ちが切り替わりました。
そして、広島でたくさんの人の気持ちや思い、記憶や心を結び付ける仕事をしようという自分の方針が固まり、「結び目」を意味する「Knot(ノット)」という屋号を決めました。