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デビューした広島のボートレーサー20歳。「欠点」を「長所」にして描き直した夢とは

 「まるでジェットコースターのような爽快感がある」という。ボートレーサーとして11月16日にデビューした広島市安佐北区出身の20歳、津田陸翔(りくと)さん。身長170㌢で体重50㌔前後の「細身」を生かせるレースで高みを目指す。「かつて野球で突き付けられた限界を、水の上でなら感じないんです」とあっけらかんと話す。(八百村耕平)

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ひと目ぼれの出合い

 ボートレースとの出合いは、広島文化学園大1年の秋のこと。友人に見に行こうと誘われた。賭け事のイメージが強く縁遠いと思っていたのに、印象は1日でがらりと変わった。
 胸に響くモーター音に観客の盛り上がり、息をするのも忘れるような攻防…。自分と同じような体格の選手が、一線で活躍している光景が目に焼き付いた。思わず「俺、ボートレーサーになるわ」とつぶやいていた。隣にいた友人が、びっくりして振り向いた。
 調べてみると、減量に苦しむ人は多いという。50㌔前後の自分の体重は、適正に近いことが分かった。「天職」のように思えた。

かつて諦めた野球の夢

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(津田さん提供)

 ずっとプロ野球選手になりたかった。小学4年の時に野球を始め、可部高(安佐北区)では巧打の内野手として活躍。でも、だんだんと現実が見えてきた。どんなに食べても太れない体質。選手は大学生でも全員、自分より一回り、二回りはデカい。「野球はパワーがものを言う世界。恐らく、自分はプロが使う木製バットに対応できない」。夢は諦めたはずだった。

 もう一度、描き直した別の夢。自分の熱意と大学中退の意思を親に伝えた。「おまえ、体育の先生になるんじゃなかったのか」と反対されると思ったのに、「挑戦してみんさいや」と後押しされたのは意外だった。気が抜けたようになっている息子のことを心配していたのだろうか。

訓練は「ひたすら退屈な集団行動」その理由は

 野球で培ったバランス感覚や体幹が生きたのか、倍率20倍の試験を一発で合格して「ボートレーサー養成所」(福岡県柳川市)に入った。全くの素人をプロに育て上げる施設。それだけに、生活はとても厳しかった。

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(養成所で同期と記念撮影する津田さん=右端。津田さん提供)

 男子は全員丸刈りで、スマホの持ち込みは禁止。朝は午前5時半起きだった。布団やシーツをきれいにたたんで、上裸で外に出て一列に並び「わっしょい」と声を上げながら乾布摩擦する。シーツの折り目が少しでもずれていたら教官にこっぴどく叱られ、腕立て伏せを100回前後。最初の1カ月の授業では「右向け、右」を何度も繰り返した。 

 ひたすら退屈な集団行動は、時代に合っていない気がした。「なんの意味があるんだろ」。嫌だったし、疑問だった。 それなのに、あの習慣が今ではふに落ちる。乾布摩擦は体調を崩さない強い体をつくるため。起床行動の厳しさや集団行動の反復は、同僚とコミュニケーションを取って規律を守り、効率的に授業を受けられるため。
 そして何より、ボートレースは命がけの競技。一つのミスが、他人を巻き込む大事故に発展しかねない。日頃の生活から細かいところまで意識しろ、とたたき込むためにある。「こうやって話のネタにもなりますしね」と笑う。

限界が見えない。だから楽しい

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(津田さん提供)

 養成所の1年間では、「班別試験」と呼ばれるテストが4回ある。モーター整備の知識に加え、操縦の技能などを試される。一つでも落第だと即退所。昨日まで同じ部屋で仲良く話をしていた訓練生が、翌日には養成所を去っていたことが何度かあった。
 乗り切れたのは「やっぱり楽しいと思ったからです」という。ボートに乗れば乗るほど上達する。限界がまだ見えない。それが、どれだけうれしいか。
 養成所は2021年9月に卒業。52人いた同期は、28人になっていた。家に帰ったら、家族が祝福してくれた。自分で靴をそろえ、服を脱ぎ散らかさずハンガーに掛ける姿に、母が驚いていたのを覚えている。

目標は賞金王

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(津田さん提供) 

 今は競艇場「ボートレース宮島」に近い廿日市市内に部屋を借りている。競艇場では、先輩にプロペラのたたき方を教わったり、一緒に練習したり。下半身や体幹を強化するため、ジムにも通っている。

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 目標は最高峰の「SG競走」で優勝し、賞金王になること。バイク好きの父にはハーレーを、母には別荘をプレゼントし、薬剤師を目指す妹の学費も払ってあげたい。「たった一回見たレースで人生を変えられた。自分も、人を魅了する選手になりたい」。新たな夢に胸を高鳴らせ、出走する。

編集後記~太れなかった記者から

八百村記者

 (八百村耕平記者。中国新聞西広島支局で)

 「太れない体質」が足かせになる人は、意外と多いと思う。私自身、そうだった。小学生の頃、担任から「ちゃんと食べさせてますか」と親に連絡されたことがある。クラスの女子から「痩せていてうらやましい」と言われるたび、嫌な顔をしていた。 

 スポーツでもそう。高校、大学と陸上部に所属し、短距離走をやっていた。プロテインや鶏ささみ肉などタンパク質を意識的に摂取し、ウエートトレーニングを何回も重ねた。それでも体重は思うように増えない。身長168㌢で50㌔。越えられない壁があった。体形が全てでないのは承知だが、伸び悩む原因の一つだったのではないかと思う。結局、体ができないまま焦って無理な負荷を掛け、脚の肉離れを繰り返した。


 津田さんは、体質を理由に野球選手の夢に見切りを付けた。その後ボートレースを知り、この体質を生かせる「天職」だと感じた。自分の適性をしっかりと把握し、花開くために人生を懸ける。相当な覚悟が必要だと思う。これから津田さんが活躍するたび、私を含め多くの人に勇気を与えるのではないだろうか。