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ジェマ・ヒッキー著/上田勢子訳『第三の性 「X」への道』(明石書店)

第三の性を求めて、国家による二項対立の押しつけを拒否した活動家の半生―著者・ジェマの言葉はあらゆる凡庸な二項対立からわたしたちをすくいあげてくれる


「X」という性を耳にしたことのある人はどれほどいるだろうか。

近年日本においてもLGBTという言葉の標語的な広まりで同性愛やトランスジェンダーについての認識は広まりつつある。しかし、誕生時に与えられた性に違和感をもつ当事者の生育過程が語られる際、未だにある種の画一化されたストーリーが用意されることが多い。例えば、FTM(Female to Male 女性から男性へ)ならば制服のスカートが嫌で吐き気がした、MTF(Male to Female 男性から女性へ)ならば女の子とままごとばかり遊んでいたというように。メディアが受け手へのわかりやすさを重視した結果であろうが、そこには、生物学的な性と自認する性を過剰に二項対立として強調する風潮はないだろうか。実際、日本において当事者が医療機関でホルモン療法や性別適合手術を受けるには、医師による「性同一性障害」の診断が必要とされている。

一方、本書の著者であるカナダの活動家であるジェマは、出生証明に性別を限定しない記載をすることをニューファンドランド・ラブラドール州に要求し、カナダで初めてノンバイナリーの出生証明を取得した。また性別欄に「X」と記載されたジェンダー・ニュートラルなパスポートを初めて手にしたカナダ人の一人である。つまり、「男性」でも「女性」でもない「第三の性」を求めて、国家による二項対立の押しつけを拒否した活動家だ。

「私たちは、男か女か、ゲイかストレートか、カトリックかプロテスタントか、などと二元化して考えるように慣らされてきた。そうした分け方は社会のコントロールによるもので、自己発見や自己認識からは、かけ離れたものなのだ。」(本書248ページ)

本書はそんなジェマの半生と、それから宗教組織による性的虐待のサバイバーを支援する団体の資金集めを目的としてニューファンドランド島を横断する908キロのウォーキングプロジェクトの道行きが交互に語られる。ウォーキングで人々の注目を集めながら面と向かって対話し議論することは、ジェマが自身の性自認や信頼する神父からの性的虐待の経験、信仰心のあつい学校での教師との軋轢や同級生との甘酸っぱい恋、自死の失敗と回復、生物学的にも社会的にも「女性」としての人生を全うした祖母との思い出について振り返るきっかけにもなっているようだった。

折しも本稿を執筆している2021年2月、東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長がオンラインの評議員会で「女性理事を選ぶというのは、日本は文科省がうるさくいうんですよね」と前置きをした上で「女性がたくさん入っている会議は時間かかる」と発言した。それを受け、経団連の中西宏明会長は、日本では「まず、女性と男性と分けて考える、そういう習性が結構強い」とし、「日本社会は、そういう本音のところが正直言ってあるような気もします。それがぱっと出てしまったと。こういうのをわっと取り上げるSNSは恐ろしいですよね。炎上しますから」と語った。

たしかに世の中には建前と本音がある。しかし、ジェンダーの自由と平等を唱えながら、その実、女性と男性を単純な二項対立の枠組みでしか捉えられないというのが、今の日本の建前と本音であり、それらを飲み下すことが現実を生きる術だというならば、その術を磨くより現実を変えるための方策を検討すべき時期ではないだろうか。そして、そのための手段として「こういうのをわっと取り上げるSNS」が有効であるならば、積極的に使っていこう。ジェマのように。

「遅らせた正義は、否定された正義なのです。」(本書94ページ)

カナダ政府の正義と人権の常設委員会(Standing Committee on Justice and Human Rights)において同性婚の法制化について意見を求められたジェマはこのように語った。

ジェマはこちらが「もういいんじゃないか?」と思えるくらい、何度も何度も何度も説明し、対話し、議論する。自身の性について、同性愛について、性的虐待について。自死を試みるほど追い込まれながらも、回復と権利獲得のために困難なコミュニケーションに挑み続ける。908キロのウォーキング中、疲労困憊でガタガタの身体を引きずっても、道端で出会ったカトリック信者と真摯に向き合う。その姿はカナダの雄大な自然と同じように美しい。

そして、そんなジェマを突き動かすのが、自身の被害体験であると同時に、家庭に尽くす"典型的"な「女性」として生きた祖母との思い出であるのも印象的だ。ジェマは当然祖母と同じような人生を歩むことはないと確信しながらも、彼女が与えてくれた清潔な室内空間、焼きたて絶品のパン、そして信仰-つまり隣人を愛すること-の思い出をあえて打ち捨てる必要はないと断言する。それらはジェマのノンバイナリーな信条と対立するものではない。祖母は自らを労りケアする適切な方法を教えてくれたのだと。ジェマの言葉はあらゆる凡庸な二項対立からわたしたちをすくいあげてくれるだろう。


出典:図書新聞2021年3月6日3486号より転載


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