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ハナビエとアマビエ

朝起きると季節外れのなごり雪がバサバサと降りしきっていて、あぁこんな日なら、近所の庭園のしだれ桜を独り占めしに行こうかと思い立った。

近所の庭園のしだれ桜は毎年テレビでも中継されるほど有名だ。都内で降りたことない駅No.1に輝いた不名誉な我が地元も桜の時期になると人混みでごった返す。樹齢70年になる大きな大きなしだれ桜は、黒山の人だかりに紛れてしまって、わたしはまだ全貌を目にしたことがない。降りしきる雪の中、心許なげにポツンと佇む桜の木を想像して、暗く甘い欲望にかられたのであった。

おなかと背中にカイロを貼り、厚手のダウンをフードまですっぽり被って、坂を登る。登る。登る。外気温2度。外出自粛と降雪で、街にはまるで人気がない。足元にはすでに雪が積もりはじめているから、小さな歩幅で慎重に、踏みしめるように歩く。なかなか思うように進むことができず、いつもは20分ほどの道のりが永遠のように思える。しかし、万全の防寒対策のおかげか身体は火照ってあたたかい。

ややウンザリしながら顔を上げると坂の途中に何本かソメイヨシノが植えられている。重く湿った雪で多くの花びらが地面に落ちている。わたしは終わりの桜の色があまり好きではない。咲いたばかりのゾッとするような白との対比で、散り際に濃くなる赤色が断末の血の気のように見えてしまう。

息が上がりつつも坂を登りきる。庭園の入り口が見える。が、やはりというべきか、入口が重厚感のある木の門でぴっちりと閉められ、閉園になっていた。毎年門の外まで多くの人が並ぶのが恒例だから、外とはいえ濃厚接触の危険性が高い場所と判断されたのかもしれない。予想していなかったわけではないが、それなりに体力を消耗していたこともあって少しガックリとくる。

門を見上げて恨めしい気持ちになる。きっとこの中には雪の中、凛と咲き誇るしだれ桜が立っているに違いない。その景色を見る者はいるのだろうか。誰か写真でもいい、記録に収めている人はいないだろうか。

名残惜しい気持ちで公園のまわりをウロウロする。すると近くに小さな神社がひっそりと鳥居を構えていた。中に入ると、見頃の真っ白なソメイヨシノがわずかながら花をつけている。あまりに密やかな佇まいであるし、名所の隣だから、誰も気にもとめそうにない。思わずカメラを向ける。

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ふと、友人のnoteで紹介されていた短歌が頭をよぎった。


押しひらくちから蕾に秘められて万の桜はふるえつつ咲く

     ー『プラチナ・ブルース』松平盟子


桜は咲く時期を選べない。咲いてからこんなに凍える気象になるなんて、桜の方だって聞いてないよ、そりゃないよ、という話だろう。わたしたちもそうだ。こんなご時世でなければきっと日の目を見た才能も、オリンピック・パラリンピック選手のピークも、歴史に残る名演も、史上最高の一皿もあったかもしれないけれど、くやしくもわたしたちは花開く時節を選べない。

しかし、それはきっとわたしたちの生命力の裏返しだ。わたしたちには降りしきる雪も雨も、蔓延するウィルスにもかかわらず、蕾をおしひらく力がある。ふるえつつ咲かせる花がある。たとえ誰も見てなくとも、その美しさがなかったことには決してならないはずだから。

しょんぼくれたわたしと神社になんのご利益があるかわからないが、思わず手を合わせてお参りをする。アマビエ。アマビエ。妖怪と神様って仲がいいんだろうか。知らんけど。

あぁ、どうか。一本でも多くの木が、来年も花をつけますように。

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