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うちで踊れない女は


こんなstay homeなときにこそ、いい女たちのいい女具合は輝くもので、皆こぞってパンを焼き、ヨガやストレッチにいそしみ、部屋を片付け、架空の森に集まり、靴を磨き、うちで踊り、日記をつけるなどしているらしいのだが、わたしはなにひとつたりともしていない。どちらかというと残念ながら大顰蹙をかった我れらが内閣総理大臣の動画に近い生活で、コーヒーを飲み、ぼーっとし、テレビをつけて「おっ。」とつぶやき、ぼーっとし、読みかけの本を読むでもなくパラパラめくり、実家に帰れないので実家の犬はなでられないが、かわりに写真を眺めてはかわいい〜と愛でてまたぼーっとして過ごしている。


仕事もなければ遊ぶこともできない日々だというのに、未だかつてなく活動が制限された中で生まれるちょっとした世間の流行にすら乗ることができないのは何かの欠陥ではないかという気がしてきたが、そもそも通常時の世の流行り廃りにすらマトモに乗れた試しのない者が、非常事態にいきなり波に乗れるようになるわけがないのだから、この結果は必然である。


しかし、そんなわたしでもさすがに24時間たっぷり家の中にいれば、家の粗の一つや二つは気になってくるもので、そんな中、目に止まったのはウチの洗濯機だった。


我が家の洗濯機はこの家に引っ越してきた折に友人から廉価で譲り受けたもだ。友人はとても几帳面な人で綺麗に使っていたのだが、貰い手が悪くまぁまぁ雑に扱われて早4年。はたと「そういえば一度も洗ってやったことがないな。」と気がついた。


そう。我が家の洗濯機は衣服を洗うばかりで洗濯槽を洗ってもらったことがない。というか、わたしは人生で一度も洗濯槽の掃除をしたことがない。4年間洗っていない洗濯槽で洗われた衣類とは…などという怖い話はさておき、思い立ったが吉日。やるなら今でしょ。今しかない。


読み返したことのない洗濯機の説明書片手に、触れたことのない「槽洗浄」のボタンを押し、慣れない工程を始める。洗濯槽いっぱいに給水し、専用の洗剤を入れ、6時間漬けおいて2回のすすぎと3回の脱水。なかなかの大仕事だが、こんな大仕事こそstay homeにふさわしい。胸が躍る。


が、大仕事といいつつ、実態としては作業の大部分が洗剤の「漬けおき」なので、洗剤を入れてからは特にすることもない。漬けおきはじめて最初の数分は「ほんとうに掃除ができているののだろうか…?」と不安になり、何度も洗濯槽の中をのぞきに行って洗濯槽メンヘラと化したのであるが、それにも飽き、結局元の木阿弥でコーヒーを飲んでぼーっと過ごすことになった。
しかし、洗濯槽掃除のいいところは、もしわたしがこのままぼーっと過ごして1日を終えたとしても、今日は「人生で初めて洗濯槽を掃除した」という事実を手に入れることができることである。なので心置きなくぼーっとする。自己肯定感とはなんと安いものであるか。洗浄剤は一袋600円。


ぼーっと過ごしているとスマフォに通知が来る。アルバイト先の予備校でオンライン授業のため急遽整備したGoogle classroomから生徒の質問が届いている。Twitterをいじるのと同様の感覚でポチポチと返信する。教師というだけで萎縮してしまうのか今まであまり積極的に絡んでこなかった生徒も、オンラインだとフラットな関係性に感じられるらしくよく質問が届く。これはいい傾向である。


と同時に、オンライン授業の配信用の動画を撮影しなければならないことを思い出して憂鬱になる。以前試したが、どのような方法をで撮っても編集の際には動画に映る自分の顔や声を確認しなければならないのだ。動画は実際よりやや表情や抑揚が控えめに映ってしまうため、無人の教室でいつも以上にひょうきんに振る舞わなければならない。時折虚しい気持ちになってくる。わたしの望む望まざるにかかわらず、YouTuberデビューが決まってしまった。こんなに不本意なかたちで時流に乗っていくのは初めてだ。


今まで乗れた数少ない流行は、少なくとも自ら望んだものだった。新作のリップを一本採り入れてみるとか前髪パッツンのボブにしてみるとか、noteを書くとか、そういうの。大勢には乗り遅れても、たまに気分が乗れば少しくらいなら迎合できますよ、というスタンスでなんとかやりくりしてできていたのだ。


しかし、今度ばかりは時の流れを真正面から受け止めざるを得ない。そのことが、こんなにも億劫でしんどいことだったとは。よく考えてみれば、COVID-19の流行前から、不本意な適応を強いられる諸先輩方は沢山いらっしゃったのだろうと想像する。心中察して余りある。望まぬ変化を強いられる人たちは益々増えるだろう。人生のコマを少しだけゴールへ進めて、隣人へのやさしさを手にした。


洗濯槽の脱水が終わり、洗浄が終わる。やはりこれで本当に汚れがとれたのか、判然としない。特に洗剤の匂いがするわけでもなく、洗濯槽の表情はいつも通り。いまいち達成感を欠いたまま、まぁこんなもんかとため息をつき、またコーヒーを注ぐ。


追伸:
今日、洗濯槽の洗浄について検索したところ多くのサイトで「今まで一度も洗ったことがない洗濯機は一度洗浄したくらいでは中途半端に汚れが落ちて服につく」と書いてありました。


stay home どうすりゃいいの マジで無理

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