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人間(少なくとも自分は)すぐ死にたくなるけど、何が何でも命は全うしてやろうと思っているという話。

年が明けたと思ったら、







あっという間に4月になって、







なんか、また1つリスタートされる気分になる。












でもその時には既に、1年の1/4が終わっていて、








 

年の瀬までは残り3クォーター。






長いとみるか、
短いとみるかは人それぞれだけど、






 




「時間が大切なものである」という感覚が、
自分の中では日を追う事に強くなっている。







幼い頃に想像していた大人って、










毎日毎日、朝から晩まで働いて、
何が楽しいんだろう?って疑問しかなかった。










だから、全く上手くもないのに、
「プロ野球選手になりたい」なんて言って、
当時の自分の本当に本当に小さな世界の中で、
好きだったものにすがりつく事だけが、
大人になっていく中で自分にできる精一杯の抵抗だった。











今だったら当時の自分に、
空元気だしてでも夢を叫ばないといけないほど、
「そんなに将来に悲観的にならなくていいよ!」
って言えるのかもしれないなと思う。








自分を自ら懲らしめるように、
将来が怖すぎるからという理由で、
変な口は叩かなくていいんだよ!って
絶対に伝える。










でも、今は今で別に、
ゆっくりくつろげるような、
余裕のある大人である訳ではなく、








毎日毎日、その日を生きる事に必死ったら必死でしかない。










毎日着実に寿命がすり減っている感覚がある。









子供の頃に抱いていた、
「毎日毎日、大人って朝から晩まで働いて、いったい何が楽しいんだろう?」って疑問。









自分の中で、
答えが出かけているのかもしれないなって思う。







今の自分が思うその答えは、
「楽しいとか、楽しくないとか、そんなこと考えている暇がないほど、世の中で毎日働いている大人は生きる事に必死なんだよ💦」って事。








仕事中はもちろん、









家族のある人は家に帰ったら家族のための時間を作ったり、








1人の人は、家に帰ればきっとそこから、
ひたすら地獄のような孤独の自問自答を繰り返している。(人によるのかもしれないけれど)









どんな環境に居たとしたって、









働ける年齢になって、社会に出て働いてお金を稼いでそれで生活をしている人たちの中に、タフじゃない人なんていないわけがないと勝手に思っている。







ただ、
あくまでもこれは自分の感覚でしかないから、
これが社会の中で生きている自分以外の人とは
全く異なる価値観かもしれないとも勿論思う。










毎日楽しいし、楽しくないし、
むちゃくちゃ面白いし、
むちゃくちゃ面白くないし、
その正体が一体何なのか考えた瞬間に、
絶対心がブッ壊れる自覚があるから
今はそんなこと考えないようにしている。










ただ、少なくとも、
心になにか火がついているのであれば、
その火は何が何でも燃やし続けなければならないのかもしれないなと思う。








理由はそうでもしないと心の火は一度でも消えた瞬間に、二度とその火が着かなくなるような気がするから。












でも、逆に、心の炎を全力で燃やし炎上させていたら、多分身体まで引火して、燃やし尽くして、あっという間に身体がぶっ壊れるのかもしれないなとも思う。












本当に、バランスって難しい。





そしてもう、何もかもが分からなくなった時、
誰でもいいから本当になんだか分かんないけど、
助けて欲しいと切実に思う事がある。









何でもいいから本当に
何かにすがりつきたくなる時がある。












でもそんなとき、20歳前後の頃に気付いたら自分に課していた凄く抽象的な死ぬまで叶わない夢が、











夢とゆうよりもはや十字架となって、
自分を生きさせてくれている。













「いつか死ぬ時に、人生史上1番素敵な人であろう」










いつか訪れる死ぬ時が、1時間後でも明日でも、
何百年後、何億年後でも、




その死ぬときに、人生史上1番素敵な人であることを目指すことで、生きるという事にすがりついていこうと思った。








そうすることで、この先自ら生命を落とす行為を







何があったとしても絶対に避けられるのではなかろうかと20歳前後の当時の自分は考えた。








そんな夢を持っていると、
人生史上1番残念な行為を人生の最後にするという事は、自分がいつか死ぬときに叶えられる唯一の夢を、自ら握りつぶす行為でしかない訳だからね。








でも相変わらずなんかあると
昔から変わらず、すぐに死にたくなる。









そして、
とてつもなく不謹慎な話になってしまうけれど、









ニュースで人生どうにでもなれ!って心境になった人が起こす悲惨な事件を知ると、














今日にたどり着くまでの間に、
なにか一瞬でも異なる行動をしている世界線があったとしたら、自分もそっちの道に行っていたのではないかもしれないなと思ってしまう事がある。











朝ご飯食べなかったあの日に、朝ご飯食べてる世界線があったとしたら?











朝ご飯がパンだったあの日に、ライスを食べてた世界線があったとしたら?













読んでいる人は、それくらいの出来事で人生変わったりしないと思われてるかもしれないけれど、









人間誰もが針の穴を通すかのように、無意識のうちに数え切れないほどの決断をし続けていて、







その決断の中に、極稀にとてつもなく大きな決断が混ざっている事があるってだけで、
その決断を繰り返して、みんなそれぞれ自分の今いる位置までやってきているんだと思う。









そして、自分の場合はたまたま20歳前後の頃に、自らの夢を定めることができて、それで今を生きられているのだと思う。







死にたくなることの1つや2つ、自分だけじゃなくてきっと誰もが抱えているものだからこそ、
みんなとこれからも、音楽をしながら生きていなとむっちゃ思います。




以上!!













































































































































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