はじめのNote第一歩 ~手に負えなかったアスペルガーの息子が支援教育を受ける権利を失うまで~
こんにちは。
アメリカで、アスペルガー症候群の息子を育てているチャビ母と申します。
よろしくお願いします。
Twitterで、ぼちぼち発達障害や支援教育、アメリカの教育環境のお話しなどをさせてもらっているんですが、なんせ文字制限で伝えきれない事も多々あるので、これからはNoteでその辺の話題に触れていこうかなと思ってはじめました。
息子は日本で3歳になるころに、高機能自閉症又はアスペルガー症候群と診断をされました。十年ほど前の話です。
当時、週3日ほど一時保育枠で通っていた保育園に診断の事を告げると、その翌日に「来週からは予約が一杯でもう通園頂くのは無理かと思われるので、置いている荷物を全部今日引き取ってください」と園長先生に通告されたのが、診断の翌日に障害のある我が子への差別を受けた最初の出来事でした。
当時は、知的障害のある自閉症の子供達は、診断後に療育園に通い、支援を受ける事ができたんだけど、アスペルガーの子達への支援は皆無でした。
まさに診断は「あなたには障害があるって知らせてあげるけど、あとは何もしてあげられないから、大変だろうけど自分でなんとかしていってね」という宣言でしかなかったわけです。
今思えば、私の「なにくそ人生」の始まりのきっかけは、そんなアスペルガーの息子に対する不遇な環境への挑戦状だったのかな、と。
アメリカに移住して、状況は一変しました。
アメリカの小学校に入学した当初「こんな手に負えない子は見たことが無い。学校創設以来、前代未聞の困ってる子」と言われた息子が、少し前に「特別支援」を受ける資格を失いました。
「もう支援がなくてもあなたは一人で学校生活を全うできるよ」と太鼓判を押されたっていうことです。
発達障害は今の医療技術では治らないとされています。
でも、発達障害がありながらでも、適切なサポートを受け、環境がその人に適していれば発達障害の人の障害(困難・生きにくさ)はハンディキャップではなくなるんですよね。
それを証明してくれた息子の成長。
それを可能にしてくれたアメリカのSpecial Education(特別支援教育)について、これからNoteで少しづつ触れていけたらなって思っています。
基本的にNoteは当面、全文無料で公開する予定で、「投げ銭」(寄付)制度を使います。「この記事為になった!」「チャビ母頑張れ!」と思われた方、投げ銭サポートよろしくお願いします。今も続けているスキル&支援方法向上の勉強の為に使わせてもらいます。