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大学生の初体験「演じる」編

 胸元を大胆に開けたシャツを着こなす講師は生え際の後退した白髪で、マスクの下に長めのひげをはやしていた。一つ一つの事項に対する言葉を尽くし、できるだけ誤解のないように伝えようとする姿勢は、さすがだな、と思わされた。『劇場』でも言及されていたが、複雑なものは複雑でしかないのである。目先の楽な言葉を安易に使用しない感じに私は好感を抱いた。←偉そう。

 そんな講師の言葉の中で印象に残ったのが次である。

「あいつ変な言い回ししてやがるとか恥をかいている姿を笑ったりとか、そういうことをされると演劇が成り立たなくなってしまいますので注意するように」

 私は急に世界が広く自由に感じられた。このダンス練習室の数億倍、銀河よりも宇宙よりも広い空間に放り出されたような感覚。そうか。演劇という空間では恥も冷笑もないんだ。このダンス練習室が、恥や冷笑の集まった空間から私たちの現実世界と切り離された治外法権の空間に変わる。心地が良かった。

 講師の前置きのあと、自己紹介が始まった。名前、所属学科、その人の性格を把握するため、と講師は言っていた。できるだけ個性を押し殺すことを求められる新生活の自己紹介と違い、「演劇:実習」の自己紹介は個性を出すことを求められた。では、どこに個性が出るかというと、「五年後自分はどうなっていたいか」という質問だ。お金が欲しい、結婚はしたくない、とりあえず生きていたい、数学者になりたい。回答の内容はもちろん、この質問に対する回答のチョイスによって、その人がどんなタイプの人(嘘かもしれないが)かが何となくわかるのだ。ウケ狙いで滑るひと、その滑りに耐えられない人、質問をし続ける人、自分の話になった途端早口になる人、ひたすらわからないで突き通すミステリアスな人。内容の真偽より、その人の性質が知りたい。講師の言葉はその風貌も相まって納得させられることが多かった。

 興味深い自己紹介の後、ようやく「演じる」行為に移る。まずは台本が配られた。縦書きの分厚い冊子で、登場人物名の下に台詞が連なる。声優のアフレコシーンや、劇団のドキュメンタリーで見た光景に私は安易に興奮してしまった。

 そして読み合わせ。ランダムに配役が振り分けられたのち、台本を見ながら台詞を声に出していく。

 私はここで「演じる」魅力を少しだけ理解できた。

 自分に言われているような気がして気持ちいいのだ。本当は作家が書いた虚構の言葉で、演じている相手だって本心ではないはずなのに、役に入った自分に問いかけられると、役のことは忘れてしまい、ここに存在する自分自身に言われているような気がした。そのせいで、声のかわいい女子とラリーを交わす場面で惚れかけてしまった。「演じる」ってマジやべー。女優が演出家と交際したり、逃げ恥で共演したガッキーと星野源が結婚するのも納得できた。

 現実では素直に交わせない人でも、台本を通して対面すると心が通じ合っているかのように思える。あの高揚感、興奮、甘酸っぱさ、終わってしまったときの切なさ。どのようにこれらの感情を感じているのかを言語化したい。今日は二日目。昨日よりもっと深い虚構の世界に入り込めることが楽しみである。てか、人間が精神的に健康に聞いていく上で、演じる側に回ることって、自己肯定感が高まるし全員に必要だと思う。

その後の一言
→惚れかけた女の子には彼氏がいるみたいです。

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