自分を害すること

 自殺についてどのような印象を持っているだろうか。今日いつも通りTwitterを眺めていたら自殺者の予約ツイートが流れてきた。赤の他人(じゃなかったらどうしよう)なのでそこまで深く捉えることはしなかったが、リプ欄を見ると同情するようなリプライがかなりの数付いていた。それを見ると多少思うところがあったのでそれを書いておく。
 まず自分の立場を明確にしておくと、自殺は美化すべきではないと思う。自殺というのは社会的、精神的に追い込まれた人間がその命を捨てる行為であると認識している。当人はとても辛かったのだというぐらいの想像はできる感性は持っているつもりだ。しかしそれだけで報われるというのは考えが早すぎるとも思う。自殺関連のニュースが出ると決まって世論は彼に同情を寄せ、誹謗中傷や働き過ぎなど彼を追い詰めた原因を非難する。これによって承認欲求を満たそうという魂胆が少なからず見えてしまうのである。特に今回のケースだとわざわざ死ぬ前に報告ツイートを予約していて、最後に一花バズらせようという発想が見え透いている。自殺も殺人行為と同じである。対象が自分に向いているだけで人を1人殺めた事実は変わらない。それでSNSを盛り上げるのは倫理的に見てどうなのだろうか。
 またこういったバズの前例ができればできるほど現代人の自殺へのハードルが下がってしまうのではないかと考える。SNSでなんでも発信でき、反響が数値化されている社会ではその数字が一種のステータスとなっている。インフルエンサーという職業が成り立っている所以である。原因が現実でもSNSでも誰かに認められなかった結果としての自殺が一般的なら、死ぬことをエンタメ化することで同情という名の承認を得られるなら安いものだと捉える人は少なからず存在してしまうのではないだろうか。
 そして何より死ぬことは何かの手段にしてはいけないと考える。病気や怪我、寿命などの結果としての死は平等に訪れてしまうものである。これは今のところ抗いようのない真理だ。対して自殺は社会としても彼を取り巻く集団としても損失にしかなりえない。家族は?友人は?職場の人々は?死んだからといって何かが生まれる訳では無い。
 自分は本気で死のうと思ったことは今まで一度もない。そんなやつに死にたくて死んでいった人間の気持ちが分かるわけがないという意見ももっともだと思う。死んだら負けという根性論も詭弁であると分かっている。しかしそれ以上に死ぬことを軽く捉えることには反論したいのである。今を生きているんだから次の瞬間を生きるのが筋じゃないだろうか。

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