secret base 〜俺が失ったもの〜

 恥の多い生涯を送ってきました。などと私のような若造が宣うのは、それこそ最も厚顔無恥なことだと気づいてから何年経っただろうか。世間はもう十月に差し掛かり、今年も残すところあと1/4程度だという事実にかなり衝撃を受けている。皆様はいかがお過ごしだろうか。
 私は長かった大学生活二年目の夏休みを終え、完全にだらけきった肉体に早寝早起き、登下校の電車移動、校舎内の階段昇降などの耐え難い苦痛(普通の生活とも言う)が襲い掛かり、休みで回復したはずの全身の疲労が早くも蓄積しているのを感じている。今年の夏を振り返ると、炎天下の中バイトをしたり、東北へ免許合宿に行ったり、高校の同期と名古屋に行ったり、流行り病に罹ったりと色々な事があった。いつか役立つかどうかはともかく、比較的充実した夏休みを過ごせたと個人的には感じている。
 冒頭でも触れたように今年ももう十月である。世間は夏が終わり秋真っ最中のような空気感を出し始めているが、例年に違わず残暑が未だ厳しく、日中はエアコン無しの生活が考えられないような気温の日々が続いている。それでも父方の祖父母から送られてくる巨峰を頬張っていると、秋らしさを少しは感じられる瞬間もある。
 ふと自分にとって秋とはどんな季節だったか、と考えると碌な記憶が浮かんでこない。秋はなんとなく一番孤独を感じやすい季節だという印象が個人的にある。毎年のようにある日突然下がる気温によって心身共に寒々しさが増すように感じられるからだろうか。それともなんだかんだ受験期の記憶が強く根付いていてそれが無意識に焦りや周囲との差異をちらつかせてくるからだろうか。
 最近スマホのメモ帳アプリを整理していたらちょうどこの時期、大学受験期のかなり血迷ったメモが出てきた。以下に全文を引用する。

俺の夏の終わり
将来の夢、大きな希望?そんなの無い
十年後の八月何して生きてるんだろう
最低な思い出を

当時の手記より

 受験期のストレスで頭がやられてしまっているのは間違いないだろう。と言っても受験期だからといって家で何時間も机に向かったり週末のオフに自習室に閉じ篭もったりしていた訳ではなく、週二、三回塾に通い後はゲームをしたりチンコを弄ったりしていた記憶しかない。学校のテストで言えば文系科目に関しては学内偏差値で五十代半ばぐらいをキープはしていたものの、世辞にも優秀な生徒ではなかったという自覚がある。故に学外での模試などの成績を見ては周囲との差、主に意識部分についてはコンプレックスがあった思い出がある。そういった思春期特有の自意識がこのようなポエムを生み出してしまったのであろうと考察する。
 このポエムはアニメ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』のedテーマとして非常に有名な「secret base〜君がくれたもの〜」を意識して書かれている。青春時代の夏の終わりの儚さを歌った名曲であるが、気候的にはまさに今のような時期の曲と言って差し支えないのではないか。まだ記憶に新しいが、十代だった頃を思うと特に恋愛に現を抜かしたり、部活に死ぬほど打ち込んだり、夕日に向かって走ったりなどのステレオタイプ的な青春時代は送れていなかったと感じる。それでもそれなりに友達はいたし放課後遊ぶようなこともしばしばしていたので楽しい生活ではあったと言いたい。
 今私が思うのは十年後の八月、本当に何をしているのだろうというところだ。十年後、ちょうど三十歳になる年である。現段階ではっきりとした未来予想図など描ける訳もなく、ただ無為に毎日を生きてしまっている。就職活動が始まろうとしているこんなタイミングでなりふり構っていられるほど器用ではないのは分かっている。それでも気になるものは気になるのである。しっかりとした職には就けているだろうか。恋人、もしくは妻はいるのだろうか。自立した生活を送れているのだろうか。ここに来て更に不安は募るばかりである。
 今まで生きてきた期間的には、十年後は途方もない先のことであるように思えてしまう。それはあくまで若さ故の事だと決めつけてしまうのは容易だが、この先の十年間があっという間だという保証は自分ではできない以上、その長さを意識してしまうのは当然ではないだろうか。
 将来については不安で不安で仕方がないが今日のところは十年後の自分の幸せを願って眠ろうと思う。そして十年後この手記を見つけて二十歳からの年月を振り返ってみたいと思う。

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