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イルカについての振り返りや手話の日記

こんにちは。10時に起床、なかだいらです。
このnoteでは長男ナオ、次男リョウが発達障害の診断を受けた流れ、その後バリ島で育て直しを行った体験の記録を、本人の許可を取ったうえでつづっていきます。
バリ島へ行ったのが2009年。まずはそれまでの日記を出していきます。

2006/3/12「イルカについて(真面目モード)」

一時期、会員数200名近くまで広がったイルカネット
水族館へイルカを観にいったり、御蔵島で泳いだり。
イルカ好き集まれ~の会を立ち上げるまでを振り返ってみようと思う。
原点は小学生。休日の早朝に、堺正章がナレーションをしていた海の番組があった。海の中の生き物がとにかく珍しく不思議で、その番組がとても楽しみだった。
海の中の世界の虜になったころ。

中学生のころ、マナティの特集を見て胸を貫かれる。
「こんなに優しい生き物がまだ絶滅せずに残っている」ということに感動。
またボートとの接触事故でたくさんのマナティが死んでいることも知り辛くなる。
いつか絶対にマナティに会いたい! と強く思う。

高校生のころ、イルカと自閉症児のコミュニケーションについて色々考える。当時もいまも「海洋生物(イルカやマナティ)」と「ひとのこころ」に強く強く惹かれる。
会いに行かねば。イルカに会わねば、と突き動かされる。

ライターの専門学校に通う頃、テーマはしっかり固まり「イルカとこころ」を追う。当時、犬吠崎マリンパークの飼育課長をしていた宮内幸雄さんに出会う。私の人生を変えた重要人物。

◆宮内幸雄さん
現、銚子海洋研究所の所長。銚子沖のイルカウォッチング船を出している。クジラやシャチにも会えるすごい場所。
https://choshi-iruka-watching.co.jp/

新聞で宮内さんの構想『ショーを引退したイルカたちの施設を作りたい』を知り、手紙を書いた。
数日後、熱い想いを便箋3枚に綴ったお返事が届き、一度お会いすることに。

ショーの合間にイルカのオポと対面。初めてイルカに触れる。
肌は冷たいゴムボールのようだけど、微妙な伸縮が掌に伝わり「生きているんだ」と思う。頭の上にある鼻腔から吹き上げる空気が私の前髪にあたる。オポと目が合う。
「やっと会えたね」と胸がいっぱいになる。

それからの人生、イルカとこころに関する情報を収集し講演会などにも参加、勉強の日々。人脈も一気に広がる。
オポと出会った翌年には、御蔵島で野生のイルカと泳ぎ、どうせ行くなら同じイルカ好きと一緒に行きたいなと「イルカ好き集まれ~」の会、イルカネットを立ち上げる。

1996年に21人からスタートし、最大時で200人。ツアーで三宅島や御蔵島に行くなど活発に活動していた。

私の妊娠・出産・育児と三宅島の噴火の影響で徐々に会員数は減り、いまはごく親しい数名しか残っていないけれど、再開の準備を着々と進めている。規模の大きな会にしたいのではなく、多くのひとにイルカや海の世界を知って欲しい、という気持ちから。必要なひとに情報を届けたい。

また島へ行ってイルカと泳ぐというプチカルチャーショックは「こころ」にとってとても良い。イルカに魔法の力があって癒されるのではなく、それを取り巻くすべてのこと(大自然に感動するとか、まったく違った価値観に触れるとか、チケットを取って旅に出掛けるという行動力とか)が人間の成長に役立つことばかりなんだと思う。

イルカと泳ぐ活動をお休みしていた時期、こころについて学ぶ機会がとても多く、これについてもいつかまとめてみたいと思う。イルカと自閉症児の交流についても、当時の私の考察がいかに浅いものだったか知ることになったので、忘れないうちに記録を残しておきたいと思う。

2006/3/13「怒ってマス」

子育ては一喜一憂。三歩進んで二歩さがる。
って分かっちゃいるけど、ムキー! 腹が立つ!
最近の次男は反抗期なのか、まったくひとの言うことを聞かない。
保育園のお友達と殴る蹴るの喧嘩をするし、親が止めても耳に入っていない。妊婦が6歳児を持ち上げて喧嘩の仲裁をするのは泣ける…。
今日もお友達と喧嘩。
怪我をするほど深刻な喧嘩ではないけれど、仲裁しないと発展しそうな感じのやりあいなのだ。
体力が有り余っているのかな。
最後は勝手にしろ~!!!! と、ブチ切れて、次男を置いてさっさと歩いて帰ろうとするものの、まだ横断歩道を横切るあたりが一人じゃ心配なので、帰れず。
しばらく口をきかずにいるけど、空しい。

2006/3/15「手話最終日」

今日で手話が終わりだ…。
手話は耳の聴こえないひとが、ジェスチャーの代わりに使う身振り手振りなんてものではなく、音声言語とまったく違う立派な文化だ。
私たち健聴者がどんどん失っていく力が、活発に利用されている。
手の形だけではなく、その動きの強弱や表情、眉の上がり下がり、頬のふくらみ、口角の形、等々が文法の役割を果たしている。
テキストを丸暗記して100の単語を覚えたひとより、片言だけれど気持ちが身体に現れているひとの方が聾者と話が通じる。
テレビから目を離さず、「おはよう」と言っても「んー」としか返事をしない子供たちも、手話なら目を見て汲み取ろうとする。
相手の気持ちを汲み取ろうとする力、自分の気持ちを伝えようとする力
メールだけではこの質感までは伝わらないんだ。

2006/3/16「忘れ物」

長男はうっかり屋で忘れんぼう。これは遺伝だから仕方無いのだ。
私が小学生だった頃、ランドセルを学校に忘れて家まで帰ったことがある。ひとと過ごした時間や贈ったものも忘れてしまう。
悪気は無いのだ。覚えていることが難しい
「久しぶり~!」「…先週会ったばかりだよ」
「素敵なマフラーだね」「…君からもらったんだよ」
「あそこのお店、行ったことある?」「…前に君と行ったよね」
「彼のこと知ってる?」「…僕が君に紹介したんだよ」
これじゃ、信用ゼロだ。
いいかげんだったり、相手を適当に思っているんじゃない。
でも忘れちゃうんだな~。

2006/3/19「カウンセラーについて」

母からの言葉

あなたは常に誰かの相談を受けている。
今後もきっと相談を受けていくだろう。
カウンセラー体質なんだから、カウンセラーの勉強をしておくのはいいことだと思う。
ただ、いまのままでは思い入れが強すぎ、してやりすぎる傾向がある。
身体に溜まったものを出す術を知らないままだと身が持たないだろう。
カウンセラーの勉強をすれば、共感しすぎないコツや、身体に溜まったものを出す方法も学べるのではないだろうか。

なるほど。
私はこの性格では身が持たないだろうと判断していたが、うまく自分の中で処理する技術を身につけるという道もあるんだね。

つづく

次回は「小2最終日に、がっかりして溜息ついた頃の日記」をアップします。

■当時をふりかえって補足 2021.9.15
またイルカと泳ぎたいな~、と思う。海はいい。水の中が好きだ。
この頃、次男はまだ小さいから怒りのコントロールができないのだと思っていました。実は本人に色々と困り感があったんだね。
手話の勉強は15年ぶりに自主学習として再開しています。
そしてひとの話を聞くコツ。当時より自他の線引きができるようになり、相手の世界に入り込まないよう工夫できるようになりました。

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