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本活探訪 No.2: 高円寺「本屋の実験室」

シェア書店研究会の人が店番をするというので、高円寺の「本屋の実験室」に行ってきました。他のシェア型書店と違い、棚一つではなく、縦に1列並んだ棚群(7個)を1つの契約単位にしていて、新刊・古本問わず仕入れて売る人が入っているという、独立書店へのステップ、みたいな場所です。オーナーさんが経緯をnoteに書かかれています。

ほとんどの人は1列ですが、3列借りている人もいて、それぐらいになると一角ではあるものの、自分がどういうコンセプトで本棚を作っているかがよりわかりやすく見えてきます。

近所にある出版社の棚もあったのですがそこは社会派な蔵書群で、それ以外の棚ではカジュアルな蔵書群が多い棚もあり、寄り合い所帯ながら全体として、高円寺のいい意味で雑多な感じがでていました。棚主の年齢も上の方から若い人までいろいろらしいので、それぞれが持っている方向の違う興味関心が混ざり合う場所、というのが蔵書を見ているだけで伝わってくるのがおもしろいです。

オーナー・棚主・お客さんの関係性の話も出たのですが、「棚主同士」でのネットワーク(コミュニティまではいかないが、ご近所さんのような感覚)の話も出ました。この店の隣でオーナーの方が以前からやっておられる「本の長屋」というネーミングからもあるように、ある種の町内会的な、それであって閉鎖的ではなく、さらに言えば変な人が入りにくい薄い膜みたいなものに包まれた空間になっていくと「おもしろい何か」の集積地点になっていくのかなと思いました。場所に集まる人の関係性を構築するのは、まちライブラリーが開いているサポーター会議というようなものもあります。しかし、棚主間の関係性については今まであまり考えたことがなかったので、もう少し深掘りしていきたいと思いました。

あと、これは何度も書いていますが、やはりリアルな場所に行ってその場の空気を吸い、その場にいる人と話す、というのは圧倒的な体験です。今回は知人が店番をしているということで伺いましたが、本の中身であったり、ご近所だったり、きっかけは何でもよいのだろうと思います。そこから、ほんの少しの関係性を作る。それが続くかどうかは気にせず、そういう関係性をいろいろなところに作っていく。一人一人がそういうことを楽しむことで、結果的に社会がおもしろい方向に進むのかなと思っています。

なんてことをいろいろ書きましたが、書店に行ったからには、おもしろそうな本を見つけて買う、という楽しみも忘れてはいけません。今回はこちらの2冊を購入。

本屋の実験室で購入した2冊

テクノロジーに利他はあるのか?(未来の人類研究センター:編)

「利他的であれ」みたいなことを言う人は素直に信じるな、みたいなのが普通の反応だと思いますが、私もそうです。とは言え「利他的でありたい」と思う気持ちもどこかにはあって、何かの拍子にそれが頭に浮かんだりします。棚を見ていたところ、この本の表紙に書かれていた「テクノロジー」と「利他」というキーワードに目がとまりました。右下には「漏れる」工学、とか、「野生の思考」とテクノロジー、とか、「共感」を前提とせずに「共にいる」というような短い表現が。「漏れる」とか「野生の思考」とか意味がよくわかりませんが、そんな言い回しを表紙に並べた編集者の作戦にまんまと引っかかってお持ち帰りに。

創作の極意と掟(筒井康隆:著)

「極意」「掟」、どちらも強い言葉です。この2つだけでハードボイルドな感じがするわけですが、著者は筒井康隆。ニヤニヤしながら筆を走らせている様子が目に浮かびます。(ホントにそうかは知るよしもありませんが)
筒井康隆と言えば、最近、筒井康隆×永井豪名義の「三丁目が戦争です」が発表されました。こちらは子どもころに読み、最後のページにあった墓標にヘルメットが被っている挿絵を今でも覚えているぐらいトラウマになっています。(永井豪バージョンがどう描かれているかは未読のため不明です)
そんなことを思い出しつつ、手に取ってページをめくったところ「創作方法などというものは一人一人異なるのだから、手法を読んだって意味はないだろう」というような書きっぷりからスタート。波乱の展開を予想しつつ、これから読んでいこうと思います。


最近ぼくが訪れる本屋さんは、どれも本を売りたい人の表情が見えてくるようなところばかりです。本そのものに関する情報はインターネット経由で気軽に入ってくるようになりました。だからこそ、その情報に載っていない「本を作った人や売りたい人の気持ち」が伝わってくるようなものを読みたいと思うようになっているのかも知れません。

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